たなかみさきさんが描く女の子が着ているキャミソールを着てみたい……。きっと彼女の絵を見たことがある人なら一度は考えてしまう、そんな下心をShe isとsitateruが結託して本当に形にしてしまいました。たなかさんと一緒に形や色からこだわり抜いてつくったオリジナルキャミソールは、イエロー×ブルー、ブルー×イエロー、ピンク×グレー、グレー×ピンクの計4色。その中から1色を、Membersの方へのギフトとして描き下ろしのイラストポストカードとセットで1月にお届けします。
今回は、実際にキャミソールを着てもらったたなかさんにインタビュー。「くやしいキャミソール」という名前に込めた思いや、たなかさんのパートナー観、イラストで表現したいことについて掘り下げました。
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女の子が「こういう瞬間あるよね」と思うような感情を掬い取りたくて、キャミソール姿を描くようになった
たなかさんの描く女の子は、「可愛い」だけでは表しきれません。どこか切ないような愛おしいような、行き場のない気持ちを抱えているように見えます。そして、たとえ不格好でも、強くあざとくしなやかに生きようとしている。そんな姿が、いつかのあの言葉にしようのない複雑な気持ちをポップに蘇らせて、私たちをきゅんきゅんにかき乱すのです。
「ファッション系の雑誌に載りたいなと思って今のようなテイストのイラストを描き始めた」と話すように、もともとファッションが好きなたなかさん。イラストの中の人物たちも、いつもいろいろな服を着ていたり、脱いでいたり脱がされたりしていますが、その中でもキャミソールを着た女の子が多いような気がします。
たなか:気がついたら描いているんですよ、キャミソール姿。以前は洋服の細かい描写にこだわっていたんですが、それよりも女の子が「こういう瞬間あるよね」と思うような感情を掬い取りたいという気持ちが強くなって、キャミソール姿の女の子をよく描くようになりました。キャミソールって、下着(ブラジャー)姿よりも軽やかだし、どこの部屋にいるかも誰の隣にいるかも分からない、想像の余地があるところがいいんです。
たしかに、キャミソールは女の子が服を脱いで素になる瞬間でもあり、絶妙に気持ちを透けさせる力があるのかもしれません。たなかさん自身も、家やアトリエにいるときは、キャミソール姿でいることが多いそう。
たなか:言われてみればいつも着てますね……。冬でもキャミソールにハンテンを羽織ったりして絵を描いてます。キャミソールって、今夜好きな人と会うっていうときに、見てもらえるか見てもらえないかって意識しちゃうところもいいんですよ。「勝負下着」なんてあからさますぎて恥ずかしいし、リアルな話、いざというときって意外とブラは見られないですから(笑)。
朝、キャミソールを選ぶときに「今日はあの人と会うからな……」とか考えてしまったり、夜、何もなく家に帰ってきて「ああ、今日は結局見てもらえなかったな」とか考えてしまったり。そんなふうに、いつの間にかあの人のことを考えている自分に気づいたとき、くやしくなる。そう、まさにあの言葉にしようのない複雑な感情のひとつ、「くやしい」。そんなところから「くやしいキャミソール」というコンセプトが誕生しました。
「エロ、バーン!」と全部見せていくのではなく、二面性や余白があったほうが魅力的
このキャミソールの一番のポイントは、前と後ろを選べる2WAYなところ。一方は少し胸元の詰まったクルーネック、もう一方は胸元が深めにあいたVネック。ここにも、実はたなかさんならではのこだわりが。
たなか:どんなときも二面性が大事だと思っていて。たとえばファッションでも、下がミニスカートなら上はタートルネックのセーターの方がセクシーだし、胸元がざっくりあいてる服ならボトムスは太めのほうがおしゃれだと感じます。「エロ、バーン!」と全部見せていくのではなく、余白があったほうが魅力的に感じますよね。イラストでも、そういういじらしさや日本的なつつましさは意識しています。
いつも明るく振る舞っている人が涙していたり、普段怖そうに見える人に優しい一面があったり、二面性が垣間見える瞬間に心が惹かれてしまうもの。表の自分と、裏の自分。あの人と会う時の自分と、その人といる時の自分。奥ゆかしい自分と、セクシーな自分。そうやって今日の自分を選ぶみたいに、キャミソールの前後ろを考えてみるのもいいかもしれません。
「女」としてカテゴライズされることへの違和感があった
たなかさんのちょっとエッチなイラストは、真っ裸の女の子が描かれていてもなぜか電車で見ていて恥ずかしくない軽やかなタッチ。She isの連載「たなかみさきによる紳士淑女の下心のススメ」でも、さっぱりとエロを綴っているところがたなかさんらしい。そのあっけらかんとした性の表現が、全国の女の子(そして男の子)の心の琴線に触れているのでしょう。25万人を超えるフォロワーの心を動かす独特な視点の原点が気になります。
たなか:兄がいるということもあって、小さい頃は男の子みたいだったんです。友達も男の子ばっかりだったから少女漫画のエロは通ってなくて、少年漫画ばっかり読んでました。『いちご100%』(『ジャンプ』で掲載されていた河下水希の漫画。ちょっとエッチなラブコメディ)とかを自分で買って読んでましたね。恥ずかしかったから、表紙を裏返して「日本史」ってペンで書いてカモフラージュしたりして(笑)。みんなでこそこそAVのようなものを見るときも、意識されずに混ざってました。だから、いまだにエロをからっと見れるのかもしれない。
性を自分の恋愛と結びつける前に客観的に捉えていたからこそ、ポップに昇華することができるのかもしれません。一方で、自分の性に対しての違和感もあったそう。
たなか:学校で集合写真を撮影するときに「男の子は片膝、女の子は両膝をついてください」って言われて、ちょうど男の子と女の子の境目の位置にいたんですが、「両膝やだな」と思って片膝を立てて写ったりしていました。ランドセルも黒だった。男の子になりたかったわけでもないし、女の子が好きとかでもないんですけど、「女」としてカテゴライズされることにすごく違和感があって。そこから性に対して興味を持つようになったのかも。
女の人だって、もっと性に対してがんがんいってもいい
たなか:女の人って、性に対して被害者意識を持っていたり、受け身姿勢の人が多いんですよね。性器の形状的にもしょうがない部分もあるかもしれないけど、キャッチコピーも悪いと思うな。「遊ばれない女になる!」とか「こんな男に引っかかっちゃだめ!」とか。いやいや、自分も一緒に遊んだじゃんって。
好きという感情に対しては「なんで一緒に背負ってくれないの」って言うのに、性については一緒に背負えないっていうのはおかしい気がする。女の人だってもっと性に対してがんがんいってもいいし、「くやしいキャミソール」みたいに見せたい自分を積極的に見せてもいいのではと思うんです。
たなかさんらしい独特の恋愛・セックス観。パートナーに対しても、捉え方は一つではないと話します。
たなか:言ってみれば、セックスフレンドだって「パートナー」。一方でセックスレスのカップルだっているし、「付き合う」とか「恋人」とかってすごく曖昧ですよね。恋愛って二人の世界で閉じられているからあやふやで霧みたいなものだけど、逆に、結婚は法律っていう第三者的な一本の軸がすっと入ってくるイメージ。軸があるからいろんなことがあっても戻ってこれる。
でも、どっちにしても戦い続けなきゃいけないんだろうなと思います。軸があると相手やその家族に責任を持たなきゃいけないし、ふらふら霧の中で恋愛して生きていくのも楽しいけど不安は拭えない。どういう戦いをしていくか、受け身じゃなくて自分で選択するっていうのが大事ですよね。
「くやしいキャミソール」を忍ばせている自分にくやしくなって、自分の気持ちに気づいてほしい
言われてみれば、女の人にとってプロポーズは「される」もの、遊びも「される」もの、告白も普通は「される」方がいい、そんな風に知らず知らずのうちに受け身になってしまっていることに気づきます。パートナーの基本は「持ちつ持たれつ」。気遣いも責任も迷惑をかけるのも愛情も、ちゃんと半分半分でありたい。恋人も夫婦もセックスフレンドも一晩の仲でも、それは変わりません。
たなか:「くやしいキャミソール」も、そういう選択の一つとして使ってほしいと思って。例えば、クルーネック側を前にして飲み会に行って、来ないと思っていた彼が「仕事が早く終わってさ」と思いがけず現れたら、「やばいやばい」ってトイレでくるっとVネック側を前に着直して、勝負しにいくとか(笑)。恋人や好きな人でもないのに、なぜかあの人と会うときは「くやしいキャミソール」を忍ばせている自分にくやしくなって、自分の気持ちに気づいたり。そんなふうに使ってもらえたらいいな。
くやしいキャミソールには、そんな思いを込めたイラストが描かれたネームタグが。たなかさんのイラストに漂う曖昧な気持ちや懐かしい感じが宿ったキャミソールに仕上がりました。
たなか:いまのイラストがキャラクター化してきているので、そこから脱却してみたいという気持ちもあって、人を描かない作品もつくっています。今年の9月に福岡で、脱いだ後の服とかだけを描いた『ウルトラシャイ』という個展を開いたのですが、周りからも好評だったし自分でもお気に入りで。ずっと表現したいのは、セクシャルなものだったり、懐かしさだったり、過去にあった瞬間を思い出させるもの。方法はもっと自由度を持ってみてもいいなと思っています。なんなら、絵じゃなくてもいいかもなあ。