夏の日々は待ちわびるだけで眩しく、過ぎゆくだけで色濃く、思い出だけでは名残惜しい。追いきれないほどのスピードで時は流れ、だけど目をそらすのは寂しいから、負けじと駆け出す、覚えていようと強くおもう。そんな一瞬の数々を愛でる手段として、写真を選ぶ人は数多くいます。確かにそこに存在していた時間を切り取り、慈しむことができれば、たとえ「さよなら」をいくつ経てもそこに残るのは悲しみだけじゃない。今回は、刹那を捉えるまなざしを持った3名の若手女性写真家を、寄せられたコメントと共にご紹介します。
「生きること」と「表現すること」が地続きの作家、信岡麻美
逃げ水を追いかける世田谷通り 熱風に揺られ爛々と光る百日紅 街中を乱反射して肌を突き刺す陽射し どこまでも伸びる影 斜陽に透ける一寸先の横顔 あっという間に辺りが白んでいく午前4時
まばたきをしている間に過ぎ去る瞬間、いつか忘れてしまっても何度でも鮮明に思い出したい。そうして欲を張りながらシャッターを切って、うんざりして、寂しくなって、また来年もこうだと良いと思いながら終わっていく夏のこと。
ZOMBIE-CHANGのCDジャケットやLUCKY TAPESのアーティスト写真などを手掛け、今年6月には神宮前Kit galleryにて2年ぶりの個展『LONESOME TOWN』を開催した信岡麻美さん。
彼女の撮影するスナップ写真からは、その場にいる人たちの間に流れている温度がダイレクトに伝わってくるような、ナマのパワーを感じます。アーティストのくだけた表情、安心しきってふざけ合う女の子たち。それらを引き出すことができる彼女の人柄や、どこかの街で繰り広げられているその未知の日常に、思わず嫉妬してしまうほどです。
今回寄せられた「刹那」への思いを語った文章の中に、さりげない一瞬を自分の中に落とし込む得難い才能の片鱗を見たように思います。探しているものや見つけたものを肌感覚どおり言語化することに誠実で、インプットにもアウトプットにも嘘がない。表現そのものが彼女にとってナチュラルな行為だからこそ、それを観測したわたしたちも自然に胸を突かれるのかもしれません。
偏愛をストレートに昇華する写真家、みてぃふぉの追い求める光
わたしの思う刹那は、光や燃える命の輝きだからこの写真を選びました
いちばんすきな強い光をぜんぶ閉じ込めたい
『ミスiD2016』にてセミファイナリストに選出されたみてぃふぉさん。当時から“美少女”を撮影することがライフワークだと公言し、自己紹介動画ではアクティブなモデルハンティングのエピソードを交えて写真を披露していました。現在は、アーティストやライブなどの撮影を精力的に行っています。
今回紹介する写真は、それぞれ異なるロケーションでありながら、過ぎ行く時間の中の輝きを的確に捉えたものばかりです。ステージの照明が反射する汗や、うつろいやすい海辺の陽光など、あらゆる光を逃すまいと探し回る彼女の気概。これらには、女の子の美貌に対する偏愛と、共通の熱気を感じます。彼女は決定的なエネルギーを秘めたモチーフに対し、それに劣らないパワーで挑んでいける作家なのだと思います。欲望を素直に具現化することも、表現活動のひとつです。
luka(琉花)が撮り留める、ニュートラルな姿勢と瞬発力の結晶
自分が写真を撮る時。とっさにアッ!と思った瞬間、光が綺麗な時、笑顔の時など。
写真を見返してみると、写真には長続きしない刹那的な場面がたくさんあると思いました。
生後三か月からモデルをはじめ、雑誌やCMなどで活躍する琉花さんは、「luka」という名義で写真家としても活動中。2014年から2017年にかけて旅をしながら撮影した作品の写真展『VOYAGE 2014-2017』の開催や、『装苑』にて小松菜奈さんを撮影するなど、フォトグラファーとしての実力を発揮しています。
カメラマンの父を持ち、15歳のころからフィルムでの撮影をはじめた彼女は、幼少期からバックパッカースタイルで30カ国以上を旅してきたのだと言います。単なる記念や記録に留めずに、細部に美が宿った写真を撮影する感覚は、そういった豊かな経験を土壌にしているのかもしれません。ニュートラルな姿勢と、琴線にふれる対象への瞬発力で捉えた写真は、時差を持って何かに気付かせてくれることがあります。たとえば、寄せられたコメントにもあるように、改めて「刹那」を「刹那」と実感すること。瞬間的な輝きに繰り返し出会うことは、写真というツールの醍醐味の一つなのではないでしょうか。