第七回 これは嫉妬だ。

第七回 これは嫉妬だ。

12歳の焦燥と孤独。女子校が舞台の青春小説、試し読み

連載:「金木犀とメテオラ」安壇美緒
テキスト:安壇美緒 装画:志村貴子 編集:谷口愛、野村由芽
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東京生まれの秀才・佳乃と、完璧な笑顔を持つ美少女・叶。北海道の女子校を舞台に、思春期のやりきれない焦燥と成長を描く、青春群像小説。繊細な人間描写で注目を集める新人作家・安壇美緒による書き下ろし長編。

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軋む扉を押して館内へ入ると、入学式の時よりもホールの中は狭く見えた。漆喰の丸天井に夕陽が反射して、どこかホールの中は朱い。
寄贈されてきたグランドピアノは、厳かな佇まいをしていた。
「宮田さん、ピアノっていつからやってんの?」
ステージによじ登った真帆が、脚をブラつかせながら尋ねる。
「二歳」
「早っ」
馨のオーバーリアクションに構わず、宮田はピアノを覆っていた布カバーを取っ払った。鍵盤の蓋を開けて、息を止めて大屋根も持ち上げる。
ポーン、と一音、叩いてみると、ちゃんと調律されていた。
「ベートーベンみたいなの弾くの?」
由梨が知っている単語で訊いた。
「弾いた年もあるよ」
「へー、すごい」
ギャラリーが多すぎるせいで、宮田はとっくにやる気をなくしていた。高さを調節してピアノ椅子に腰を下ろすと、みなみが再びさっきの鼻歌を歌い始めた。
「これ、弾ける?」
「なんとなくでいいなら」
軽やかな手つきで宮田がピアノを弾き始めると、おお、とみなみが声を上げた。夜の葉に落ちる雨粒のようなメロディが、切ない旋律へと変わっていく。
マイ・フェイバリット・シングス。
私のお気に入り。
悲しいことがあった日でも、自分の大好きなものを思い浮かべれば、そんなに悪くない日だと思えてくる。そんな曲だった。
宮田にはどうしても、それがきれいごとに思われた。そんな風に思えるほど、好きなものなど自分にはない。悲しみにしたって、自分の中のどれが悲しみで、どれが悲しみではないのか、あまりわからないような気がした。
突然、不穏な気配に鳥肌が立って、宮田は一瞬、目線を上げた。
奥沢?
ステージで談笑している輪の中で、奥沢叶だけがじっと宮田を見つめていた。それは奇妙な光景だった。まるで平たい絵画の中で、そこだけが飛び出ているかのように。
宮田はこの類の視線を何度でも浴びたことがある。
六啓舘の最前列で。コンクールの会場で。
これは嫉妬だ。
けど何が? と宮田は思った。授業中でも、テストの返却時でもない今、何故?
みなみのリクエスト曲は、そろそろ終わりを迎えようとしていた。もう一度宮田がステージを見やると、奥沢の目はまだ攻撃的にこちらを射ていた。
そう思うのなら、やってやる。
ラフマニノフの《楽興の時》第四番。
いきなり宮田が前傾し、曲を変えて物々しい演奏を始めると、みなみの肩が跳ね上がった。
空気が一変して、肉厚のベルベットのように重厚な音楽がホールの中に響き渡る。鋭い楔を打ち付けていくかのように、宮田の指は躍動した。
気がつくと、真帆たちも息を吞んでこちらを見つめていた。複数の聴衆の息づかいを感じながらピアノを弾くのはコンクール以来のことで、宮田の身体はぞくりと震えた。
まだ、自分の指は衰えてはいない。まだ、やれる。
凍てついた土地を思わせる旋律を奏でながら、宮田は南斗にやって来た日のことを思い出していた。
たったひとりで、アイスブルーのキャリーケースを引いてきた日のことを。

はっと宮田がおもてを上げると、ステージの上では拍手が巻き起こっていた。
「ビックリした~ピアノ弾くって、こういうレベルだったんだ……」
「マジで宮田さん、すごくない!?」
由梨が興奮して目を輝かせている。真帆も悠も、いつものしらけ癖が噓のように、はしゃいで手を叩いていた。驚いたことに、いつも自分に突っかかってばかりの馨が一番感動しているようだった。
まるで紙吹雪が空高く舞っているのを眺めているかのように、宮田はその新鮮な光景をしばし呆然と見上げていた。
「あんた、やっぱすごいわ」
傍らにいたみなみが、ゆっくりとハイタッチする。
その日、宮田に賛辞を送らなかったのは、奥沢叶だけだった。

6

実力テストの日の朝は、よく晴れていた。
いつも薄い色の南斗の空が、珍しく青く澄んでいた。問題を解き終えたタイミングで、宮田は窓の向こうの空を見上げた。今週の予報はずっと晴れだった。
今夜の流星群も、きっと観測しやすいのだろう。
予想していたよりもずっと簡単だった数学の問題を、宮田はもう一度頭から見返し始めた。
簡単ならば簡単で、最高点も平均点も上がってしまう。一問だって取りこぼせない。
そう思うと、どれもこれもミスをしているように思えてきて、筆算式を綴る右手が異常にすばやく動いた。
三度見直し、背を正して、ふと目の前に広がっている教室の風景を眺めると、みんな眠っているかのように見えた。
みな背を丸めて、同じ姿勢で、同じ制服で、同じ机に向かっているせいで、ひとり身体を起こすと、まるで自分だけが夢から覚めてしまったかのように思えた。 
起きている人が、誰もいない。
宮田がそのまま教室の風景を眺めていると、目の端ですっと、誰かが目覚めた。
奥沢の背は、まっすぐだった。
一番前の席に座っている奥沢は、何が見えるわけでもないだろうに、すっ、と背筋を正して生真面目に前を向いていた。
それからしばらく、起きている者は宮田と奥沢だけだった。三人目が身体を起こすと、宮田は窓の向こうに視線を投げた。
鳶がゆっくりと旋回している。その下のグラウンドは、土の色を取り戻していた。
いつの間にか季節は流れ、雪も解けて、南斗にも春が訪れていた。

PROFILE

安壇美緒
安壇美緒

1986年、北海道生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2017年に『天龍院亜希子の日記』で第30回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。

INFORMATION

書籍情報
書籍情報
『金木犀とメテオラ』
著者:安壇美緒

2020年2月26日(水)発売
価格:1,870円(税込)
『金木犀とメテオラ』

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