一切が動き出さないような、気の遠くなるような、永遠とも思われるような時間にも、きっと意味があると信じて。
「生を享受するために生まれる人がいる、働くために生まれる人がいる、
人生を見つめるために生まれる人もいる。私には傍観者という、ちっぽけで、けちな役割があった」
内戦直後のバルセロナ。18歳のアンドレアは祖母宅に身を寄せる。
薄汚れたアリバウ通りの住居には、それぞれに事情を抱えた人々が同居していた。人生に疲弊した家族たち。その悲しみや暴力や貧しさの連鎖、死や愛をアンドレアはただひたすらに傍観者として観察する。まるで小説や映画を眺めるように。初めての親友との友情を育み、大学に通いながらも、まだ彼女は自分の人生の主人公ではない。物語最大の事件の後、1年という短いアリバウ通りでの生活を終え、人生の様々を目撃したアンドレアは新しい世界に踏み出す。
彼女が自分の居場所にまるで無関心であり得たのは、自分の悲しみや、人生において手に入れたいと切望するものに、初めから折り合いをつけるため。それらは取るに足らないものなのだと。
タイトルにも使われている「なにもない」という言葉は、自分の人生に踏み出す前の助走の季節。一見なにもないように思える、ありふれた日々の連続の中にこそ、人生の喜怒哀楽や真理、そのほか全てが詰まっている。そのことに気づけた時、自分の人生を生き始めることが出来るだろう。
一切が動き出さないような、気の遠くなるような、永遠とも思われるような時間にも、きっと意味があると信じて。