She isで先行公開がスタートした、女優・モデルの南沙良とイラストレーター・漫画家のごめんがコラボレーションした「頭の中の女の子」がテーマのショートショート全4話。公開を祝し、過去の『yom yom』で掲載していた南沙良のエッセイ「届かない手紙を書きたい」を順次公開します。
どんなに疲弊していても、磨り減っていても、そこから自分を救い出す術を私は知っている。
私が身を置くこの世界では五感から得られる情報だけでなく、視点を切り替えたり拡張したり、どう色付けていくかが核になっていて、それによって世界が変わると信じている。
私はとても欲張りだから、たくさんの世界を味わいたいと思うけれど、自分だけの力ではひとつの世界しか味わうことができなかった。
昔の私は、そんな想いで心にじめじめが溢れかえっていて、まるで毎日が秋雨のようだった。
そんなときに私を助けてくれたのが、映画や本、そしてアニメの中にある「ものがたり」で、私の知らない色付けや世界を教えてくれた。よそいきに繕った私ではなくて、自然な私でいられる時間。その世界の中で感じる自由こそが、自分にとっての生きる糧になっていったわけだし、財産となっていくわけだから、これを趣味という言葉に当てはめていいのか、正直私もわからない。
今日は私を支えてくれる「ものがたり」の話がしたいな。
映画が好きだ。今までたくさんの映画を観てきた。
観るだけでは満足できなくて、今こうして役者として映画に携わっているわけだけど、いつだって映画は新しい発見をくれる。
映画館からの帰り道も大好き。ただいつものように歩いているだけなのに、いつもよりずっと視界が広い。
そんなときに感じる感情は私にとって尊いものであって、私をその道に連れて行ってくれる映画たちもまた尊いものだ。
作品に込められた想いに心動かされることも、もちろん多々あるけれど、映画のなかの女の子たちに憧れて、彼女達が身に付けているものを衝動的に真似たいという感情の波に襲われる作品に、より魅力を感じてしまったりもする。
たとえば。
「Welcome to the Dollhouse」。この映画の主人公、ドーンは少し強烈な女の子。
学校ではブスだと罵られて、家には優秀な妹と兄がいて疎外感を感じているドーンには、素直に同情できない外見と自我の強さがある。
唯一の仲良しの少年を「イケてない」と下に見たり、学校で自分に向けられた暴言を妹への暴言に転用したり。それでも、自分を認めて欲しい、愛されたいという自己顕示欲が強くて、ステレオタイプのいじめられっ子ではないドーン。
そんなドーンはファッションも少しズレていて、とってもかわいいのだ。ぶかぶかのパンツや派手な色の組み合わせ、大ぶりのアクセサリー。まるで、好きなものだけを着込んだ子供のようなファッションは中毒性さえ出てくる感覚。
そのなかでも私が一番惹かれたのは、学校で着ていたピンクのニット。花のモチーフやハートやビーズがちりばめられていて、目が痛くなるような派手なニットだった。
そのときの私は誰かのなにかになりたくて、ドーンのニットは特別輝いて見えた。
あのニットに袖を通せば私も強くなれる気がして、色んな古着屋さんをはしごして探し回った。
結局全く同じニットは見つからなかったけれど、似たような派手な装飾が施されているニットを見つけて、私はそれをしばらく気に入って着ていた。
この物語の内容は皮肉で少し暗い。最後までドーンは救われないし、なにも変わらない。それでも私は、ドーンのように正直に生きたいと思った。
「God Help the Girl」のファッションはヌーベルバーグ時代のオマージュのようで、曲がりなりにもファッションのお仕事をさせていただけている私の心をあの手この手でくすぐってきた。
ヒロインであるイヴはもちろんだけど、登場人物のそれぞれ違ったレトロコーデが本当に可愛くて可愛くて、瞬きをしている暇がない。
その中でも私は、イヴが付けていた真赤なリップに心を奪われた。真っ白な肌に真赤なリップと黒のドレスがとても映えていて、それを見た瞬間、私も付けるべきだと思った。
それまで、リップの色にこだわりを持ったことなんてあまりなかったけれど、イヴと出会ってからは赤いリップが好きになった。
少し透け感のある赤、オレンジがかった赤、りんごみたいに綺麗な発色の赤、とにかくたくさんの赤を集めて、毎日その日の気分に合った彩を使ってオシャレを楽しんだ。
どうしてイヴの真赤なリップに惹かれたのかは上手く言葉に出来ないけれど、赤色のリップをつけている間は、イヴと同じ目線で「今」に胸を焦がすことが出来た気がする。
最高にイカしていてポップで、ときめきで心臓がぎゅいーんと高まる、語彙力が一気に失われてしまう、そんな映画。
ところで、本からもらう情報は、単なる知識や単語といったものだけではない、と私は思う。
小さい頃から本を読むのが大好きで、大事なことや味わったことのない感情は本から学ぶことが多かった。
裏切りの痛みや恋の喜びも予め本が教えてくれた。
『凍りのくじら』。この本で私は「ものがたり」のもっている力をいま一度信じることが出来た。
「あの時期にこの作品がなかったら、今自分は生きてなかったかもしれない。そう考える瞬間が、僕にはあるよ。」
今も時々このセリフが脳裏によぎるのは、私もそんな風に考える瞬間があるから。少し大袈裟かもしれないけれど、少なくとも今の私を作っているのはこれまで読んできた本たちでもあるから。
挫折のダメージに耐えられないからこそ、ぬるい不幸のなかに居続ける理帆子が自分と重なって見えた。
私は自分の手が届かない場所にある物語のほうが、自分にとって近く鮮明なものだと感じている。自分でも上手く説明することは出来ないけれど、この理解されにくい感情を理帆子が優しく拾い上げてくれたことで心が楽になった。
本は私にとっての救いなんだな、と思うことがある。たとえば、誰にも言えず抱えている想いやふとしたときに感じる疎外感、そんな感覚や感情を的確に拾い上げて物語として紡がれていること自体が、私にとっての救いなんだと思う。
そして、私はアニメが大好きだ。
学校に自分の居場所を見つけられずに悩んでいた頃、かわいい女の子たちがたくさん出ている、いわゆる「萌えアニメ」を観た。
女の子たちが可愛い。ただそれだけのことだったけれど、そのときの私にとっては充分すぎる癒しになっていて、女の子たちの行動ひとつひとつがたまらなく愛しく思えたし、夢や目標に向かって努力する姿には本当に感動した。
学校では酸素があることを忘れてしまっていたけれど、家に帰ってアニメを観るためにパソコンを開いている間は、ずいぶん酸素が吸いやすくなった気がして、パソコンの前の赤い椅子が私の居場所になっていった。
居場所を見つけてからは、違うジャンルのアニメもたくさん観た。
SFやアクションやラブコメ。どのアニメも面白くて、好きなキャラクター(推し)もたくさん出来た。
推しを観て、心がぐっと苦しくなって、好きすぎて身悶えしちゃう感覚を言葉で表そうとしても難しい。この気持ちは一生かけても具現化できない気がする。
「恋だね」と言われることがあるけれど、きっと恋心とはまた違うもので。好きが収まりきらずにこぼれ落ちるあの感じ。
好きなアニメのグッズがあれば、もちろん欲しくなる。例えば推しのイラストが描かれた洋服や缶バッジや抱き枕。自分で言うのも何だけれど、正直それを装備しているときの私は無双状態だし、買う瞬間、一切の躊躇もない。
洋服やアクセサリーを買うときは時間と覚悟が必要だけど、好きなアニメのグッズの前では時間も覚悟も無いものとされてしまうから。
私にとって、グッズを買ったり、イベントに参加したりするのは、憧れているものに対しての不器用なりの一方的な愛情表現の形なのだ。
色んな人に勿体無いだとか、痛いだとか、散々に言われることは少なくないけれど、それでも私は胸を張って推しが描かれている洋服を着ようと思うし、缶バッジがたくさん付いたバッグをもってイベントにだって行こうと思う。
さて、たくさん書いてしまったけれど、どれも私の趣味であって、「好き」だ。
映画は私に勇気をくれて、本は私の視野や可能性を広げてくれて、アニメは私に居場所をくれた。
「好き」を手放さずに、これからも大切に抱きしめ続けたい。
もっともっと私だけの財産を蓄えたい。
そうだ、私の世界は確かに広がった。
私の話で、もしも誰かの世界を少しでも広げることができたなら。
「好き」は人生を彩るものとなってくれるはずだから。
Photo
(Photo by Sara Minami)
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映画「女は女である」のアンジェラのコーディネートに憧れて古着屋で購入した赤ニットとチェックスカート。
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私が持っている赤リップのなかのひとつ。発色がとても綺麗で、付けていると背筋が伸びるのでお気に入り。
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推しのベッドシーツ。買ってからしばらくは観賞用として飾っておいたけれど、最近同じものを購入できたので、こちらは実用品!♡