ここと、あそこ。hereとthere。エレン・フライスと私の交流は、彼女がパリに住んで『Purple』を編集し、私が東京に住んで『花椿』の編集部にいたころからいつも、距離を前提としていた。年2回、私はその距離を飛び越えてパリに出張に行っていた。90年代のパリ・コレクションのシーズンだ。
距離を飛び越えたところに、友達がいるというのはワクワクすることだと、はっきり自覚するようになったのは『流行通信』で「エレンの日記」の翻訳連載を始めた2000年の始めごろだっただろうか。そして私は『here and there』という不定期刊行の雑誌をつくり始めた。題名の名付け親は、エレンだった。
Parallel Diariesの題名はエレンの提案により、Tumblrをつかって始めた二人のblogプロジェクトであった。二人とも気ままにポストをしたけれど、いつしか立ち消えてしまった。その時エレンは南西仏の村の一軒家に娘と住み、私は東京の谷中に住んでいた。いま、私は息子とロンドンに住み、エレンは変わらずその一軒家に住んでいる。
コロナウイルスによるロックダウンの生活が始まって、エレンの正直な声を聞きたくなって執筆に誘うと、エレンは「一緒に書きましょう」と言った。二人の間をメールで行き来した並行日記は、その日の気分の上澄をすくいとり、私たちのすごした季節の感情を映した。
2020年9月30日(水)
ナカコ 9月30日(水) 9:00 東京
いい天気だ。空には雲ひとつない。起きたとき、東京は16度で、気温はロンドンとほとんど変わらなかった。出発までまだ2時間あるので、空港のゲートでこの日記を書いている。
ここ数日、日本を離れたくないという気持ちと闘っていた。湿度が高くて暑い8月と9月の天候のあとで、もっとも過ごしやすい季節である秋が始まったところだった。記憶するかぎり、もっとも歓迎できない旅発ち、といえるのではないか。ロンドンについて耳にするニュースはすべて、新型コロナウイルスの状況についての憂鬱なものだ。
昨日、写真家の齋藤陽道さんに会って、お昼にラーメンを食べに行った。私のアパートから100mほどのところにある「義」という店だ。私はここが、世界一のラーメン屋さんだと思っている。齋藤さんは、聾学校の先生がバイトをしていて、おいしくてお気に入りの店だと教えてくれていた。
お昼を食べたあと、齋藤さんは我が家に寄って、写真集『神話』を4冊渡してくれた。最初のお子さんが生まれてから、シリーズで毎年、インディペンデントにつくり続けている作品だ。家族で旅をしながら、自然のなかで写真を撮る。東日本大震災のあと、失われた自然と人間の信頼関係を取り戻すために構想されたプロジェクトなのだ。
齋藤さんは写真集の値段を決めておらず、写真集を買いたい人は、一冊1000円に上乗せして好きな金額を払うことになっている。上乗せされたお金は、次の旅の応援金になるという仕組みだ。この旅行を続けてほしいと思った私は写真集4冊に1万円払うことにした。
エレン 9月30日(水) 18:30 Saint-Antonin-Noble-Val
今朝、ジュリーと散歩をした。彼女は、娘の演劇の先生であり、トゥールーズ出身の元女優であり、朝、私と一緒に散歩をする人だ。彼女は、私とはまったく異なる子供時代を過ごしていた。他の二家族と一緒に小さなコミュニティをつくり、森の中の大きな一軒家に住んでいたのだ。両親は印刷会社を持っていて、アナーキズム(無政府主義運動)に関連した政治運動に参加していた。
私たちは、歩きながら話す。子供、政治、文学、村での生活について。また、道すがら、花やハーブや果実などを拾う。今朝は、クルミと今シーズン最後のイチジクを少しばかり見つけた。霧が立ち込めていたが、歩いているうちに太陽が登ってきた。これがいつも、もっともすばらしい光景なのだ。霧は好きだけれど、霧が消えてゆくときも好きだ。特別な光が差し込んで、だんだん明るくなり、そして突然、霧は姿を消す。
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