白いTシャツを着て、風に飛ばされた麦わら帽子を仰ぎ見つつ、川で冷やしたきゅうりを丸かじりしたい季節がやってまいりました。どうも、チーム未完成です。
身の回りにいる、いろんな生き方をしている人を毎回ゲストに招いて、ダラダラ飲みつつ、働くとか人生とか、そんなことにずいずい切り込む連載「働くとは何ぞや」。ちなみにルールがあって、毎回、全員分の飲み代は1万円以内に収めてみせます!(詳しい企画のなりたちについてはぜひ第1回目をご参照ください!)
今回は、連載初の男性ゲストとなる『LIP』の田中佑典さんをお迎え! 台湾と日本のカルチャーを繋ぎ続けてきた立役者である田中さんまじリスペクトっていうことで、今回は新橋の台湾料理屋からお届けします。
プロデューサーや編集者って名乗るときもあれば、「職業は天使です」って言ってみることもある。
しをりん:今日は1万円分までしか、飲み食いできないからよろしくね!
田中:『帰れま10』的な?
ゆりしー:どちらかというと、すぐ帰らずにすむようにしたいの(笑)。
田中:自腹で払ったらダメなの?
未完成一同:ダメダメダメ。
ゆりしー:ルールですから!
田中:失礼しました!
(ここで、やや押しが強めの店主登場)
店主:メニューが3冊あるから、ちょっとプレゼンするよ。売り切れもあるから。こっちのメニューはね……(以下略)。
店主:……(中略)あと台湾料理は炒め物得意よ。頼んでないけどダイジョウブ?
ぱいせん:とりあえず大丈夫! ……乾杯しよう。
一同:かんぱーい!
ゆりしー:今日は、キャンちゃんをお招きしたので台湾料理屋さんにしてみました! 最初に説明しておくと、未完成は田中さんを「キャンちゃん」と呼んでます。
田中:ここまで「キャン」って呼ばれ続けると思わなかった。未完成、徹底してるよね。
ぱいせん:ほかの人にも広めようとしてるしね(笑)。
げっちゃん:キャンちゃんと未完成が飲んでたときに「新しいあだ名を付けて欲しい」って言われて、できる男だから「キャン(can)」になったんだよね。
田中:あのときに付けてもらったあだ名のリスト、たまに見返すもん。いつ見ても笑う。
ぱいせん:キャンちゃんのこれまでをあらためて聞きたいな。
げっちゃん:肩書きは?
田中:プロデューサーや編集者って名乗るときもあれば、「職業は天使です」って言ってみることもある。でもざっくり言うと「何かを企画する人」かな。
学生が作るフリーペーパーがちょっとしたブームだったけど、『LIP SERVICE』は絶対に売り物にしようと思った。
ゆりしー:活動の始まりは雑誌だよね。
田中:大学2年生の頃に、「素人はプロのもと」っていうテーマで素人だけを紹介する『LIP SERVICE』っていう雑誌を始めたのがきっかけかな。僕自身、ど素人状態から始めて、デザインに関してはMacすら知らないくらいだった。デザイン書に載ってる操作画面に、自分のパソコンにないりんごのマークがあることに、混乱してたくらい。
田中:当時は学生が作るフリーペーパーがちょっとしたブームだったんだけど、もともとカテゴリー分けされることが苦手だったから、『LIP SERVICE』は絶対に売り物にしようと思って、200円で売ることにしたの。本屋さんの中で置かれる場所にもこだわりがあったから、ファッション誌なら『TUNE』や『装苑』、カルチャー誌なら『BRUTUS』や『Pen』の隣に置いてもらいたくて、断られたときは、置いてくれた本屋さんに行って、そっと配置を変えてた(笑)。
初めは本屋さんに営業に行っても全然相手にされなかったんだけど、最初に置いてくれたのが、当時ラフォーレ原宿にあった山下書店で。店長が二つ返事で「いいよ、だってこれも本でしょ?」って言ってくれた。その言葉は忘れられない。
ぱいせん:店長かっこいいー。
しをりん:ラフォーレって若者を応援するムードを感じるもんね。
田中:それで、だいたい半年に1回くらいのペースで雑誌を作っていて、5号目くらいからは文化服装学院から広告をもらえるようになったし、制作メンバーも30人くらいに増えていたんだけど、ある日、学校のパソコンルームにいたら友達から「YouTubeって知ってるか? これでなんでも見れるんだぞ」って言われて。検索して見てみたら、もう全部見れたの。
ゆりしー:あのときの「全部見れる」っていう感覚わかるなー。
食の面から台湾が紹介されることが多かったから、僕はカルチャーを通じて日本と台湾を繋げようと思って。
田中:僕は雑誌で素人とプロの垣根を壊そうとしてたけど、YouTubeの存在を知って、今後その垣根はどんどんなくなっていくんだろうなと思った。そこであらためて自分の役割を考え出して、『LIP SERVICE』は9号目で休刊したの。その1年後くらいに、もともと興味があったアジアに旅行をしたんだけど、何か国か行った中でも、台湾はほかの国と全然違う感覚があって。一番旅行っぽくなくて、すぐに馴染んじゃった。台湾では若いクリエイターの人たちと会う機会もたまたまあったんだけど、彼らの見切り発進で始めちゃう感じもすごくよくて。
田中:僕は、1ミリの隙もない洗練されたデザインにはあんまり魅力を感じないんだけど、台湾のユルさと出会って、ここに新しいものがあるかもと思った。当時の日本の雑誌では、食の面から台湾が紹介されることが多かったから、僕はカルチャーを通じて日本と台湾を繋げようと思って、2010年に「台日系カルチャーマガジン」として『LIP』を始めたの。漢字では「離譜」って書くんだけど、中国語の口語表現で「ありえない」っていう意味。それに「譜面から離れる」っていうのは僕がずっとやろうとしている、カテゴリーとかジャンルから逸脱していくことに通じるなと思って。
げっちゃん:いい名前。
田中:『LIP』を始めた当時は川崎に妹と住んでて、クラブチッタの隣のバーでバイトしながら、台湾行きのチケット代を稼いでた。そこから始めて、台湾の仕事でご飯を食べられるようになったのは、2015年くらいかもしれない。
ゆりしー:わりと最近なんだね。
田中:食べれなかった時期は、今思い出しても辛い。雑誌と並行してコーディネイターの仕事を初めたんだけど、今でこそ台湾のよさが広まってきたものの、その頃は企業にプレゼンしても「なんで台湾なの?」とか「人口が多い中国とビジネスした方がいいじゃん」って言われることも多くて、なかなか伝わらなかった。半年に1回くらいは仕事になったけど、支払いが2か月後だったりして……。あとはデパ地下でワインを売るバイトもしてたなあ。そうこうするうちに、だんだんコーディネイターとしての仕事も増えてきたんだけど。
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