みなさんは、一日のうち、いつが自分の一日の始まりのときだと思いますか。多くの人は朝だと思っているのじゃないでしょうか。朝目が覚めて起きたとき、もしくは、寝坊の日には起きたその正午ごろの時間です。でも、夜に働く人にとっては、朝に眠り、夕方目覚めるときがその時間なんでしょうか。自分の時間と太陽の時間って、どういう関係にあるのでしょう。
わたしは、夜とこに入るとき、眠りが始まるときが一日の始まりではないか、と感じることがあります。これは、私の母の受け売りですが、眠くなって眠る、というよりも、時間の許すときには眠るための準備をして明日のことを考えてから眠ることと関係しているかもしれません。眠るときに、これから一日が始まるのだと思うことがあります。良い眠りに入っているあいだは、私の身体は休み、精神もくつろぎ、しかし魂は宇宙を駆け巡っているのではないかとなんとなく思っているのです。
これまでも、明日のために作っておくいくつかの食べ物をここに書きました。
冷たいピーマンの焼きびたし。豆乳のゆるいゼリー。
冷たくて美味しいちょっとした自分のための食べ物たち。
夏の飲み物には、ミルクコールドブリューを明日のために作ります。挽いたコーヒー豆を、不織布のティーバッグに入れてミルクに沈めます。一晩置いてみると、ミルクがごく淡い色合いでコーヒーに染まっています。これを飲んでみると、初めての人は皆思いがけない濃いコーヒーの味に驚きます。一回もお湯をわかさずにカフェオレが飲めるので脳がバグってしまう感覚、ズレのようなものも経験します。もっとカフェオレのような色のものを飲みたいときは、もう半日から一日静置すると、もう少し濃い色のものを飲むことができます。なんとも言えない淡い色合いで、こんな毛並みの犬がいたら抱きしめるだろうなと思います。
私は数年前からロースターでコーヒー豆を買い、ハンドドリップして家でコーヒーを飲んでいるのですが、こんなふうに自分でコーヒーを淹れる習慣との出会いは、突然のことでした。数年前の春、私は仕事に疲れきり、同じ場所ではもうやっていけないと思い、それまで勤めていた職場を退職することにしたのですが、そのときに同じように自身の職場に憤懣やるかたない思いを抱いたまま退職した友人と久しぶりに飲むことになりました。彼が退職祝いに持ってきてくれたのは彼のお気に入りのロースターで焙煎したコーヒー豆で、酔っ払った友人は「あれ、そういえばコーヒーミル持ってるんだっけ?」などと言いながら渡してくれて、その瞬間に「いや、これから全部買うからいいよ」と言って受け取ったのが始まりでした。
今では自分で淹れるコーヒーとそのための時間は自分にとって本当に大切なものになっています。どこかへでかけた旅先でもその街のコーヒースタンドに立ち寄ってコーヒーを飲むことにしています。彼とは一年に一回も会いませんが、私の人生を変えてくれた人だなあとたまに思い出してありがたく思うのです。ミルクのコールドブリューを飲んでみたことがない方は、一晩の魂の旅行のあとの栄養として飲んでみてほしい。自分の中のなにかが変わっていくことが、もしかしたら、あるかもしれない。