刹那が永遠とつながると、名作になるわけです。(池田)
池田:<かもめ来よ天金の書をひらくたび>は、私が選んできた<少年ありピカソの青のなかに病む>と同じく、三橋敏雄が18歳のときの句ですね。
ーこれらが18歳ですか……。池田さんは、その句をなぜ選ばれたのですか?
池田:ピカソの「青の時代」は、青春期の暗く陰りのある作風の呼び名です。三橋は、恵まれない人の孤独や不安、一抹の希望を、ピカソの青の時代に重ねながら、まさに渦中にいるはずの自分のことを、この時代に生きている一人の青年として俯瞰して見ているんです。子どもがこういうことを書いたと思うと、困っちゃうよね(笑)。
池田澄子さんが今回の対談のために選んだ、三橋敏雄の作品
佐藤:「少年あり」という上の句で切ることで、「なんだろう?」と思わせるのが面白いですね。まずぽつんと一人の少年が見えて、そのまわりを囲むようにピカソの青色が浮かび上がってくる。
さっき「時間を流す」という言い方をしましたが、それって「カメラワーク」に近いんですよ。俳句は短い表現である分、語の配置や順番によってかなり風景が変わるので。
池田:うーん。「時間を流す」というのはやっぱり違うと思うんですよね……。「流す」というより「取り込む」というのかしら。
佐藤:でも、「少年あり」から「ピカソの青のなかに病む」と読み進めながらこの句を自分のなかに取り入れるときに、私は「時間が流れる」と思っているんですけど、どうですか?
池田:気持ちは同じなのだけど、言い方の問題だと思います。それよりも、「時空が広がる」というほうが近いんじゃない?
ー自分の目は一組だけですが、さまざまな場所に視点を置くことで、別の時空が広がるという感じですかね。
佐藤:そうですね。たとえば語順を入れ替えて、<ピカソの青のなかに病む少年あり>とすると、この句のよさは出ません。「少年あり」を冒頭に配置することで、提示する時間や空間……つまり時空が変わってきます。
池田:<いつせいに柱の燃ゆる都かな>というのは、三橋敏雄が八王子の空襲を思って書いたのだけれど、シェークスピアや平家物語の句だと考えることもできませんか?
ーどの時間や場所にもあてはめられますし、該当するあらゆる時空を同時に接続するような感覚もあると感じました。まさか17音でそれができるというのは、改めてすごいことですよね……。
池田:とある一場面を切り取った断面だったはずが、永遠の主題になることがあるんですよね。その刹那が永遠とつながると、名作になるわけです。永遠を見せるのは、なかなかできることではないけれど。
あまりにもいい人は俳句には向かないと思います。ひねくれていないと(笑)。(池田)
ーお二人自身は、どういう瞬間を俳句で切り取りたいと思っているんですか?
佐藤:私は書きたいものはそのときによって変わりますけど、自分が「あっ!」って思った空気感を捉えたいというのは一貫しているかな。いまの時代だと「エモい」って呼ばれることに近いかもしれないです。まあ、「エモい」で片付けられないことではあるんですけど。
池田:エモい?
佐藤:エモーショナルであるというか。センチメンタルとかセンチとかが近いかもしれないですね。「うっ」となって「あっ」となる感じ。あと、私の場合は、俳句を始めた中学生の頃から、目の前のものはどうしたら、これまでなかった見方ができるだろう? と考えていました。
俳句は空想ではなく、「見たままを書け」と言われる芸術形態ではありますが、かと言って、他の人と同じように見たのでは、作品になりません。だから、自分なりの見方を探したり、考えたりという訓練をしていました。
池田:たとえば桜がはらはら舞って儚くてきれいだなあと思うのは当たり前。それを意識的に捨てるんです。根性悪いですよね(笑)。すごく素直でいい人は、ものごとをそのまま見ちゃうから、あまりにもいい人は俳句には向かないと思います。ひねくれていないと(笑)。
ー(笑)。
佐藤:「インスタ映え」という言葉があるけど、何か共感してもらえるように写真を撮れるのは、おそらくいい人なのだと思います。だけどそれは私の書きたい俳句とは逆の感性。やりたいのはみんなの共感を集めるのではなく、びっくりさせること。言われるまで思ってもみなかったけど、確かにそうだ! と感じてもらえるものをつくりたいです。
She isの8月特集「刹那」のギフトには、二人が書き下ろした俳句のてぬぐいが。/<パイナップル抱いて雨のなか息をして 佐藤文香> <自ずから熟れて傷んで匂って桃 池田澄子>
池田:作品を書こうとすると、いい人のまま、止まっていられない。私がつくったなかにも、すごく根性の悪い俳句がありますよ(笑)。えっと、たくさんあるんですけど……たとえば桜でいくとこれ。
<想像のつく夜桜を見に来たわ 池田澄子>
ーひねくれていますね(笑)。
池田:そのとき私は、千鳥ヶ淵に夜桜を見に行ったのね。もう、行く前から目に浮かんでいるわけよ。そして実際、想像通りなの(笑)。見ればもちろん、「ああ、綺麗」と楽しめるのだけど、やっぱり「想像のつく夜桜」なのよ。
佐藤:(笑)。
池田:あとは<定位置に夫と茶筒と守宮かな>。まず、ヤモリって網戸みたいなところ、「ここにいるわよね」ってところにいるなと気づいて。そしたら茶筒も、あ、夫も絶対に家の定位置にいるな……と思って(笑)。よく考えてみるとやや夫に失礼なのですが、悪気はない。でもこの句も、いい人だったらきっと書かないでしょう(笑)。