昔、夢のなかで恋をした人がいるんです。
—夢のなかの登場人物たちとコミュニケーションが取れるんですね。さきほど「夢は自分が見せているもの」とおっしゃっていましたが、夢のなかでは登場人物たちのことを完全に他者として意識しているんですか?
吉澤:そうですね。頭では自分が見せているものだってわかっているんですけど、自分の語彙力や思考スピードでは追いつかないような話し方をする人が出てくるんです。自分の思考を超えてしまっているから、他者として認識してしまうんですよね。
—夢のなかに出てくる自分ではない誰かから、現実で影響を受けたりすることも多いですか?
吉澤:子どもの頃から夢が自分の生き方を左右してきたところもあって、例えば、魔女にさらわれる夢を見たのがきっかけで魔女修行を始めてみたりもしていました。幼稚園の頃に、夢のなかに出てきた人をこれから出会う人だと信じて、「あ、この人かも!」って思った子を木陰に呼び出して「夢のなかに出てきた人だよね?」って聞いたら、あしらわれたこともあります(笑)。夢が曲になることも結構あるんです。
—どのような流れで曲にしていくのでしょうか?
吉澤:昔、夢のなかで恋をした人がいるんですけど、じつはそれがさっきのアカサタシワラクタさんで。実際に存在する誰かが姿を変えて夢に現れたんじゃないかって妄想をしたときに、ものすごく切なくなるんです。生きている世界が別だから結ばれることはもちろんないけれど、「運命の人ってこういうことなんじゃないの?」って思ったりもして。その妄想が止まらずに“運命の人”という曲を書きました。あと、夢のなかでメロディーがずっと流れていて、起きてからすぐICレコーダーに録音して歌詞をつけた“ぶらんこ乗り”って曲があったり、夢は現実にも作用していますね。
—夢と現実、それぞれの世界が隔絶されているというよりも、地続きの感覚があるんですね。
吉澤:そうですね。パラレルワールドみたいなものというか、ただ寝ているときに存在しているだけの世界じゃないと思っています。目で見るだけでなく、メロディが聴こえたり、触覚を感じることもあるから。みなさんの夢だと、Instagramストーリーできていた「12歳の夏、死んだ母親に抱きしめられる夢を見ました。夢で匂いを感じたのはそれが最初で最後」という夢が気になりました。夢のなかで匂いや味覚はあんまり感じたことがないなって。この文章を見るだけですごく特別な夢だったんだろうなと感じます。それを教えてくれたのが嬉しいですね。
私の心の奥にも、そんなうつくしい景色があることを信じてみたいと思って、歌詞を書きました。
—“一角獣”も夢から影響された曲だそうですね。
吉澤:はい。朝起きてカーテンを開けたら窓の外が海で、ジュゴンがきらきらと泳いでいてすごく綺麗だったっていう夢で。二年前のおなじ日に飼っていた犬が死んだので、うつくしい夢を見せてもらえたような気がして、それを映像作家の外山光男さんに伝えたら、「うつくしい夢がどうか吉澤さんの一番素直のものです」というお返事をくださって。私の心の奥にも、そんなうつくしい景色があることを信じてみたいと思って、<あなたが見せてくれた夜明けの夢は わたしの心のいちばん綺麗な場所 一角獣鳴いたら迎えにきてよ ゆめの中ひとりぼっちのわたしは ずっとあなたに会いたい>という歌詞を書きました。
—夢とは関係のない曲を書かれることももちろんあると思うのですが、つくっているときの手触りは違いますか?
吉澤:夢から影響を受けた曲は、本来ならば自分の胸の奥だけに秘めている景色を切り取ってしまったというか、自分のために書いちゃったんじゃないかなって不安になることがあって。夢って、ものづくりのように作為的じゃないし、自分が人に見せようと思って生んだ完成品ではないから、仕事としてそれを切り取るのはいいのかなって感じることはあります。
—でも、夢でも現実でも、吉澤さんという同じ身体から生まれている、という意味ではどちらも同じですよね。
吉澤:たしかに。そう考えると、他者に見せる意識があって生まれたかどうかの違いだけなのかもしれないです。どちらの作品の生み出し方も好きなんですが、むきだしなものよりも自分のなかで洗練していったものを届けるほうがかっこいいなと思っているので、いまは現実の自分から生まれた音楽のほうが好きかな。