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最果タヒと佐々木俊が詩を語る。SNS時代の窮屈な言葉を解体する

最果タヒと佐々木俊が詩を語る。SNS時代の窮屈な言葉を解体する

誰かによって定義づけられた言葉をうのみにしないで

2020年1・2月 特集:これからのルール
インタビュー・テキスト:野村由芽 撮影:佐藤麻美
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言葉や芸術の前に立つとき、自分は生きてきた時間すべてを抱えて向き合っているのだと思います。(最果)

─発信する側と、受けとる側の関係というのは難しいですよね。言葉を定義づけられたもので受けとってしまうということでいうと、「死」以外の言葉でも、極端に意味づけられた言葉に読者が強く反応してしまうという経験もありますか?

最果:それは、多くの言葉においてあることだと思います。たとえば「愛」という言葉。全員が受け入れられる言葉って、一つもないのではないかと思っています。だから、私が書いた詩に拒否反応を示してしまう人がいたら、本当にごめんなさい、と思います。だけど一方で、書き手が読み手を選ぶことはできないし、そこで書くのをやめるのも違うと思うから、それは発信者として、受け入れ続けるしかないと思っています。

─人は生きている限り、その人だけの文脈があるから、ひとつの言葉で私的な体験がフラッシュバックしたり、傷ついたりすることが、ありますよね。どうしても自分の経験と言葉を紐付けて、目の前にある作品を読んでしまう部分ってあると思います。

最果:そうですね……自分にとって苦しい言葉に出会ってしまったときは辛いと思います。でも、それはなにも間違っていないし、その人がその人として生きてきたからこそだとも思います。言葉や芸術の前に立つとき、自分は生きてきた時間すべてを抱えて向き合っているのだと思います。見たくない言葉もあるし、いやだと思う絵もあります。でも、それはそれだけ生きてきたということで、その年月によって、心から特別だと思える言葉とも出会うことができると思うんです。だから、その出会いの瞬間を愛することこそが、生きる上でとても大事なんじゃないかと思います。

自分を簡略化して「みんな」の前に差し出すっていうのがコミュニケーションだと思ってしまっている部分があるとするなら、私はそれを、解体してほしいなと思います。(最果)

─言葉もデザインも、すでにあるものの組み合わせでその人のオリジナルなものをつくっていく作業でもあると思うのですが、あくまでも自分だけのオリジナルな言葉やデザインなどないという思いと、自分だけの言葉やデザインに出会いたいという気持ちの溝を、おふたりはどう埋めているのですか?

最果:基本的に人と人はわかりあえないと感じてるんです。言葉を使うと、簡単にわかった気持ちになってしまう部分も強いのですが、お互いが全然違う人生を生きているから、本当はわかりあえない。だけど私はそのわからない部分をやっぱり大事にしたいし、そうした部分こそ、その人がその人であることを証明していると思うんです。

そして言葉というのは、わからないものに「それでも」と手を伸ばすとき、生まれるものだと思っています。わかるわけじゃなくても、簡単に好きとは言えなくても、それでも、わかりたいと思うこと、近づきたいと思うこと。わからないからじゃあね、バイバイ、じゃなくて、わからないけれど共にいよう、ってときに必要なのが本当の言葉だと思います。

そして、それは自分対自分でもやっぱり同じだと思うんです。自分自身のことがはっきりわからなかったり、自分自身を完全に表す言葉がない苦しさってあるのですが、それでも言葉にしようとするときに、やっと自分そのものと一緒にいられる感覚があると思っていて。

たとえば誰かの本を読んで、「えっ、なんかすごくわかるぞ!」となったときに、一瞬、自分自身と出会えた気がしませんか? あとは、友達が言ってくれたひとことがなぜか忘れられなくて、10年後に「はっ」となったりとか。そういう言葉をちょっとずつ、ちょっとずつ、見つけていくことがすごく大事。

わからない言葉があって、でもわからないからこそ、その言葉はちゃんとそこに存在してる。「わかる」って瞬間が訪れなくても、私は生きていけるんじゃないかと思っています。だから答えを差し出すために私は詩を書いていません。その言葉が、なにかを決定づけるゴールとして終わっていないから、ずっと自分と一緒にいられるんじゃないかって思います。

最果タヒさんの詩の展示『氷になる直前の、氷点下の水は、蝶になる直前の、さなぎの中は、詩になる直前の、横浜美術館は。』会場デザインは佐々木俊さん。

佐々木:デザインにとってなにがオリジナルであるかというのは、難しいところですよね。デザインは、創造するものでもありながら、誰かのためにつくるものでもあるという不思議な仕事で。だから基本的には、投げられたボールにたいする「反応」なんです。

代官山蔦屋書店で行われた『詩 デザイン』フェア

佐々木:その跳ね返し方をどうするかっていうときに、たとえばある商品が持っている魅力よりも、価値を大きく見せることは簡単だけど、それをしないことが大事。嘘をつきかねない仕事だからこそ、それをしてはいけない。だから、受けたものを跳ね返すという行為のなかで、なるべく正しい方角に飛ばせるようなものをつくれるような自分であるために、そういう仕事がくる日まで、日々の自分の感度がよくなっている必要があるし、知識を蓄えておく必要がある。……それだけが質問の応えではないんですけど、いま最果さんが話していたことから思ったのは、そういうことですかね。

最果:言葉でもデザインでも、表そうとする瞬間そのものがすごく大事だと思うんです。だから私は、自分の言葉を探す方法がなにかと聞かれたらら、とにかく「書こう」派です。書いてみてうまく言い表せないと「こうじゃない!」っていうフラストレーションがやってきますが、そのときは「こうじゃない!」とも書いてしまえばいいと思います。書いた方がいい言葉、というのを書く前に取捨選択してしまうのではなく、頭の中のぐるぐると言葉が直結するぐらいに、考える前に書いていく。

わかりにくい自分の話をいつまでも聞いてくれる他人ってそんなにいないけど(笑)、自分ならそれができますよね。そして大事なのは、SNSもいいけど、誰かの顔色を見ずに書くってことでしょうか。見られている前提のSNSだと、どうしても自分だけが面白いと思うことを書き続けるのは難しいから、日記をつけるのがいいんじゃないかなって思います。

誰にも聞かせない言葉を出すという行為は、すごく大切だと思っています。言葉というものが、コミュニケーションのために存在しているという認識が、SNSがあたりまえになっているいま、より強くなっているように思うんです。もちろんコミュニケーションのための言葉も大事です。だけど、自分を簡略化して「みんな」の前に差し出すっていうのがコミュニケーションだと思ってしまっている部分があるとするなら、私はそれを、解体してほしいなと思います。

水筒が入っている1月のギフト「これからのルール」のページはこちら(お申込みは1/31まで)

PROFILE

最果タヒ
最果タヒ

詩人。中原中也賞・現代詩花椿賞。
最新詩集『愛の縫い目はここ』がリトルモアより発売中。その他、詩集に『死んでしまう系のぼくらに』『空が分裂する』『グッドモーニング』などがあり、2017年5月に詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』が映画化された。また、小説に『十代に共感する奴はみんな嘘つき』『少女ABCDEFGHIJKLMN』、エッセイ集に『きみの言い訳は最高の芸術』、対談集に『ことばの恐竜』などがある。この秋に、食べ物エッセイ集『もぐ∞』が刊行予定。

佐々木俊
佐々木俊

1985年仙台生まれ、東京在住。2010年多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。
アドブレーン、グリッツデザインを経て、2016年デザイン事務所AYOND(アヨンド)を設立。これまで最果タヒの複数の著書、展示環境のデザインを担当。その他の仕事として、NIKE吉祥寺店の店舗グラフィック、東京国立近代美術館「デザインの(居)場所」宣伝美術、連続テレビ小説『エール』タイトルロゴなどがある。参加展示として、2018年太田市美術館・図書館『ことばをながめる、ことばとあるく―詩と歌のある風景』がある。

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