誰かの生きる姿勢や活動を見て、思わず応援してしまいたくなったことは、ありませんか。その相手は身近な人だったり、手の届かない距離で輝く存在だったり、さまざまだと思いますが、応援したり、されたりすることは、お互いに少なからず力を分け与えあって、日々の足取りを軽やかにしてくれる糧になるもの。
She isと“キットカット”によるコラボレーション企画<わたしが応援するあの人たち。そこから生まれる景色。>では、She isのGirlfriends8名が、応援したいと思う個人を紹介。それぞれが、同じ時代に、共に頑張りたいと思える人たちと対話を行なっていきます。
劇団「贅沢貧乏」を主宰する山田由梨さんは、当初、何をもって「応援したい」とするか、その解釈について考えたといいます。そんな山田さんが「ファンである」という視点から紹介するのが、歌人として活動する伊藤紺さんと、写真家のオカダキサラさんです。お二人について「大きな物語では語られない部分を作品にしている」と話す、山田さん。大文字の歴史では語られない、日常の細部に宿る尊い瞬間を切り取りながら作品をつくることについて、考えていることを伺いました。
また、「日常」そのものが変容しているいまの状況について、日常をきめ細かく見つめてきた三名が、どのような視点で向き合っているのかも、お聞きしました。
二人とも、大きな物語では語られない部分を作品にしていて、そうした部分こそが美しいっていう美的感覚があるんじゃないかな。(山田)
―まずは、山田さんがなぜ「応援したい人」として、伊藤さんとオカダさんを紹介したいと思われたのか、教えていただけますか。
山田:「応援」という言葉をどうとらえるか考えたんですけど、言いかえるなら「ファンである」っていうことなのかなと思って。たとえば、サッカーのサポーターは、きっとファンだから応援するんですよね。そう考えたときに、作品のファンで、これからもつくり続けてほしい人として、二人のことが頭に浮かんで。オカダさんには、まだ直接お会いしたことがなくて、本当にただただファンなんです。
オカダ:恐縮です。
山田:少し前、池袋のジュンク堂に行ったら、インディーズの写真集の特集をしていて。その中に「これは!」っていう写真集があって、それがオカダさんの作品でした。本屋さんで写真集を手に取るっていうアナログな出会い方をしたから、しばらくはSNSで探すことを考えなかったんですけど、あるときにふと思いついて、Instagramでオカダさんをフォローして。自分のアカウントでもオカダさんの写真集を紹介したりしていたら、オカダさんが私の投稿にコメントをくださって、ちょっとだけメッセージのやりとりをさせてもらいました。
紺ちゃんは、友達の友達として知り合ったあとに、短歌をやっていると聞いて。読んでみたら、ぐっとくる作品が多くて、「天才だな」と思いました。なおかつ今回、なぜこの二人と同じ場で話したいと思ったかというと、オカダさんと紺ちゃんって、やっていることがすごく似ていると思っていて。
―どういう部分についてお二人が似ていると感じているのですか?
山田:二人とも、人間の愛らしくて無防備な部分をすくい取ってる感じがするんです。紺ちゃんは、ドラマや大きなストーリーの中では語られない、日々の微妙な部分を書いているし、オカダさんは、自分も見たことがある気がするけど忘れていたり、見逃してしまいそうな、可愛くて美しい瞬間を撮られていて。そういう写真って、きっとなかなか広告にはならないんです。だからこそ良い。写真家の方は、広告の仕事や雑誌の撮影などで生計を立てる方が多いと思うのですが、私は、オカダさんが、写真家としてどういう仕事ができるだろうと、他人事ながら考えているんです(笑)。
オカダ:ありがとうございます(笑)。
山田:多くの人が、かっこいい写真を写真集にするじゃないですか。でもオカダさんの作品って、全部の写真がかっこ悪いんですよ。そして愛しい。日常の中にたしかに存在している瞬間なんだけど、その部分を作品にしてる人ってなかなかいなくて。それが素晴らしいし、オカダさんに技術があるからこそ、できることだと思います。二人とも、そうやって、大きな物語では語られない部分を作品にしていて、そうした部分こそが美しいっていう美的感覚があるんじゃないかなと思っています。
あとから見たときに「この時代って苦しいだけだったのかな」って思われたくないという気持ちがあって。みんなそれぞれの時代で、絶対に笑っている瞬間があるはずだし、面白いことだって少しはあったはず。(オカダ)
伊藤:私も、オカダさんの最新の写真集を見させてもらったんですけど、生身の人間の強さをすごく感じました。見ていて笑えちゃうんですよ。でも、滑稽な姿がこんなにも写されているのに、全然意地悪じゃないんです。かといって情をかき立てるような感じでもなくて、からっと爽やかで、すごく爽快な気分になれるんです。
東京って「ディストピア」みたいなイメージで語られることもあると思うけど、この写真集では「ディストピア」的なイメージからはかけ離れた、ごみごみしたドラッグストアみたいな場所で、圧倒的に生身の人間がぼけっとしている。それがすごく愛おしくて、衝撃的でした。
オカダ:よく見てくださって、本当にありがとうございます。東京って「かっこいい」とか「先進的」って言われたりするけど、東京生まれ東京育ちの私からしてみると「そんなことなくない?」ってずっと思っていて。自分が育った下町の方では、化粧なんていちいちしない人も多いし、下着みたいに適当な格好で歩いている人も普通にいました。雑誌に出てくるような格好なんて、もちろんしていない。
極め付けが、大学に入ってから大阪の人と知り合ったときに、「東京の人ってつまんないよね」って言われて、「東京だって面白いのに」ってすごく腹が立ったんです。それが、いまみたいな写真を撮り始めたきっかけで。
オカダ:最近の東京は、新しくてきれいな建物がどんどん出来ていますけど、そんなかっこいい街を普通に歩いている、どこにでもいるおじさんを見かけたりすると「すごくいいな!」と思っちゃって。みんな、本当に普通に生きているんだなって、すごく愛おしく思いながら撮っているので、さっきの言葉はありがたかったです。私はきっと、東京を歩く人のファンなんだと思います。
―人間の愛おしい側面を切り取ろうとしたときに、たとえば感傷的な撮り方をすることもできると思うのですが、オカダさんがどこかおかしみを感じるタッチで撮られているのはどうしてですか。
オカダ:悲しんだり苦しんだりしている写真って、ニュースで見る機会が多いと思うんです。でもあとから見たときに「この時代って苦しいだけだったのかな」って思われたくないという気持ちがあって。
みんなそれぞれの時代で、絶対に笑っている瞬間があるはずだし、面白いことだって少しはあったはずなのに、泣いている写真だけで、誰かの幸せをはかってはいけないと思うんです。なので、こちらが決めつけるような写真にしたくないし、悲しみのイメージだけを伝える写真を、自分は撮らないようにしようと思っていて。
山田:もう、その発言が天才じゃないですか……! たとえばこの写真。駅で、荷物が多すぎて、女の人が飲み物を飲ませてあげていますよね。駅ってきれいじゃない部分も多いし、この瞬間が美しいかというとそうじゃないんだけど、でもこの写真を見ていると「いいな」って思うんです。
当人たちは「荷物重いな」とか「疲れた」とか思っているはずで、その瞬間を幸福だと感じているかはわからない。だけど、こうしてはたから見たときに「いいな」と感じられる瞬間って、たくさんあるんだなと思える。オカダさんの写真は、本人にもわからないような些細な幸せの瞬間を可視化してるんだなと思って、深く感動しました。
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