「2020年度ってなくなるかもね」って雑談で話していたんです。(山田)
―いまは新型コロナウイルスの感染が拡大していて、取材もこうしてリモートで行なっているわけですが、みなさんの作品が切り取ってきた「日常」というもののあり方が変わってゆく中で、この状況をどのようにとらえているのか、また作品でどのように切り取っていかれるのか、気になります。
山田:最近、リモートで会議をしていたときに、「2020年度ってなくなるかもね」って雑談で話していたんです。いつ収束するかの保証もない中で、今年大学一年生になった人は、もしかしたら1年間授業が受けられないかもしれないですよね。だったら「1年みんなで空白の時間を過ごそうよ」っていう心の余裕を持てる世の中になったらいいのにと思うんです。
就職が取り消しになっている人たちもいて、それは本当に深刻なことだし、私は政府の動きにもめちゃくちゃ怒っています。でもそのこととは別に、みんな普段は経済を回したり、生産性をあげることにいろんな意識を奪われているけど、そういうベクトルじゃない日々の過ごし方をすることって、そんなに悪いことかなと思うんです。紺ちゃんは最近どう?
伊藤:社会全体にちょっとずつ「悲しい」とか「辛い」っていうムードが満ちている感じがしていて。作品っていう意味では、社会がどんなに悲しいムードに満ちていても、社会と自分との間で作品をつくっていくわけなので、社会に対峙する自分の心がそういうムードにならなければ、作品にはあまり反映されないと思っているんだけど、仕事をしたり、暮らしたり、どういう社会を目指していきたいのかという部分では、すごく思うところがあるので、悩ましい日々です。
―オカダさんは普段街に出て写真を撮られていると思いますが、今はどうされているのですか?
オカダ:近所を短時間の散歩をしていながら撮っているんですけど、写真を撮っていても人との距離があるなと思います。普段だったら私が撮っていることに怒るかもしれないような人も、怒る余裕すらない感じがして、その状況が悲しいですね。みんな周りが見えていなくて、不安だけが伝播している状態ですよね。不安と怒りって、共感しやすい感情だと思うんです。日本人って、謙虚な姿勢をとらなきゃいけないという気持ちがあるから、喜びの感情をあんまり人に伝えないし。
でも、2020年度がなかったことになるんじゃないかって、私も思います。空白の期間を経て、みんながどういう風に変わっていくのか、不謹慎かもしれないけど逆に楽しみな部分もあって。
山田:その感覚はわかるかも。
オカダ:亡くなられた方や失業した方の話を聞くとすごく悲しいし、「明日は我が身かも」っていう思いがあります。自分に巨万の富があれば、どこかに3億円くらい寄付したい。あらためていまは、これまでの社会で良かったのか、いろんな価値観を見直す起点になるんじゃないかなと思うんです。
私自身も、我々は資本主義に踊らされすぎていなかっただろうかって、はっと冷静になったし。資本主義的な位置付けとは違うところに、本当の豊かさがあるって語る映画や小説は昔からあって、そういう作品にそれなりに感動していたはずだけど、自分のこととして考えていなかったなって。でもいまの状況では、自分にとってすごくリアルで、変わらざるを得ない、新たな進化のときなんじゃないかと思うんです。それをぜひ観察していきたいし、撮って、共有していきたいですね。
山田:はっとするような気づきが多い期間だと、本当に思います。身近なことでいうと、リモートでもよかった仕事がたくさんあることに、たくさんの人が気づいてしまったと思うんです。
週5で出勤していた会社員の友達も「いまは週2で会社に行ってるけど、リモートでも大丈夫だった」って言っていて。その子は普段、毎日忙しく会社に行っていたけど、最近は家にいるからか、飼ってる犬がぼーっとしてる動画をインスタにあげていたりして、そういうのを見ていると嬉しくなるんですよね。「もっとぼーっとしろ」って思う。そういう時間をもっとみんなが持てたりするような良いところは、この先も継続していけたらいいですよね。
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