目に見えないものを面白がり、意味をつける遊びは続けていきたい。
─体験したことがない未来ではなく、「懐かしい」という過去の感覚を掘っていくような探求のなかにも新しい発見があるんですね。
コムアイ:歴史を遡って何かを知ることにすごく新鮮な感覚があって、それこそが未来のヒントになるような気がしているんですよね。解剖学者の三木成夫さんの『胎児の世界 人類の生命記憶』という本を読んだら、三木さんが生まれて初めてデパートで売っていた椰子の実の汁を買って、それを吸ってみたらなぜか「懐かしい」と思ったという話が書かれていて。
著者は東京で生活していて椰子の実の汁を飲んだことがなかったけれど、椰子の実の汁を飲み慣れた人生というものが、その人の中のどこかに宿っていたんだと信じたい。そう考えると、自分の中にももはや人間じゃない頃の記憶とかが身体のどこかにあるかもしれないし、あったらいいなと思います。
─コムアイさんがオオルタイチさん、映像作家の鎌谷聡次郎さんとつくったYAKUSHIMA TREASUREの『屋久の日月節』のMVでは、自然や生物が誕生しては滅びて、また新たな生命が育まれる土壌になってゆく大きな循環が描かれていましたが、そうした死生観にも通ずるようなお話だと思いました。一つの生命が現在だけでなく、過去や未来ともシームレスにつながっているような感覚というか。
コムアイ:自然科学が発展し、もうほとんど目に見えるものに研究の手は行き届いたように思えます。そうしたときに、たとえば植物や苔のように人間社会じゃない世界に身を置いてみたり、ルーペを覗いてみると、なんだかわからないものがやっぱり広がっている気がしてくる。人間の心理や意識の科学がもっと進まないと、私は不安です。新しい生命を作りだす、かなり近いところまで科学が迫っていて、それを扱う人間がどんな意識を持ちどんな存在なのかという学問、それも科学と呼べるのかわかりませんが、両軸で支えあえたら安心できると思います。
屋久島の自然や人との出会いから感じたこと、そして周囲の目を意識せずに、自分がやりたい表現をしたいと語っていたコムアイさんの思いからはじまったというYAKUSHIMA TREASUREの『屋久の日月節』MV(YouTube Premium会員のみ無料視聴可能)
YAKUSHIMA TREASURE LIVE at LIQUIDROOM 2019
─コムアイさんは最近インド民謡やアイヌ民謡など古くから受け継がれてきた歌を学ばれているそうですが、それも先ほどおっしゃっていた、歴史から未来を知るような感覚を求めてのことですか?
コムアイ:伝承を学んでいると、大きな伝承の流れの一部にいることをすごく幸せに感じる瞬間があって。そこにやりがいを感じます。私の場合、「親から子」のような強固な一本線で歌を受け継ぐことはできませんが、私の先生がいろいろな先生から教わってきたことが網目状につながっていて、それが一滴ずつの雫になって自分に降り注いでいるような感覚がたまにあります。
アイヌの人たちのウポポ(アイヌの伝承歌謡のひとつ)を、教えてくれている人と輪唱していたときにぞくっとするような瞬間がありました。歌詞の意味に対する解釈はまだ足りていないですけど、繰り返し同じ音節を発音しているとき、これまでたくさんの人が目指してきた渦のようなものの中に自分も入っていくような感じがします。歌舞伎や能をやっている人はそういう感覚が日常なのかもしれないですけど、これまで水曜日のカンパネラも含め、型のないところで自由に表現してきたので、自分にとってはそういうことを学ぶのがすごく新しいんです。
─「信仰」ということでいうと、表現者として前に立つ立場でいるなかで、ご自身が誰かの信じる対象になるような経験もされてきたのではないかと思います。
コムアイ:私は水曜日のカンパネラの「広報部」のような存在だと思っているので、自分そのものというより、みんなでつくり出した「水曜日のカンパネラ」像が、信仰の対象のように機能しているのだと、いただいたお手紙などを見て感じたことはあります。
例えば光がドアの隙間から差し込んでくる、だとか、神々しさを感じる演出が好きだからということもあるかもしれないけど、神社やお寺に似た装置になっていた部分があるかもしれないなと、振り返ると思います。活動は変化していくと思いますが、目に見えないものを面白がり、意味をつける遊びは続けていきたい。今後も表現を磨いていきたいです!