ジェーン・スーさんによるエッセイ集『これでもいいのだ』の発売に際して、She isではスーさんに「年齢」にまつわるさまざまな疑問をインタビュー(「ジェーン・スーに聞いた、年齢と女性と社会をめぐるモヤモヤのあれこれ」)。あわせて、読者の方々からお悩みを募集し、そちらに対してスーさんに答えていただいたものをこの記事では紹介します。
「明日のほうがきっとよくなる」という予感を得ることは、人によっては、あるいは時と場合によっては、かんたんなことではないかもしれません。でもここに登場するお悩みとそれに対するスーさんの答えを読んでいると、きっとなにかしら身に覚えがあることが見つかり、能動的に希望を見つけ出してみようかな、と気持ちになれるのではないかなと思います。では、お悩み相談のはじまりです!
~お悩み・質問はこちら。答えやいかに?~
Q.「若いこと=価値がある」という風潮に違和感がある
Q.漠然と30代になったら「終わる」という不安がある
Q.ひとりで夢を追ったり冒険することへの抵抗がある
Q.「オバサン」と自分のことをみんなの前で堂々と言えるような人のほうが、人間ができてるっていう感じに少し抵抗がある
Q.28歳になりますが、まだお付き合いしたことがなく、時々不安でとんでもなく怖くなる
Q.いい化粧品は若いうちから使ったほうがいいのか
Q.女性は40歳を過ぎて、いろいろな可能性が狭まったりしますか?
【前編】ジェーン・スーに聞いた、年齢と女性と社会をめぐるモヤモヤのあれこれ
※この取材は、新型コロナウイルス感染症の感染が拡大する以前の2020年1月末に実施しました。
Q.「若いこと=価値がある」という風潮に違和感がある
A.イラッとしたということは自分のなかにもその要素が内在していると疑って
─『これでもいいのだ』の刊行にあわせてShe isでは「年齢」をテーマにインタビューをさせていただいたのですが、読者の方からも同テーマでスーさんへのお悩み相談を募集しました。
そのなかからいくつか選んでお答えいただけたらと思うのですが、まず多かったのが、年齢を言ったときに「え~見えないですね」と若いことを褒められるのが疑問であるとか、「年齢のわりに落ち着いているからもっと若く見える風貌にしたら?」などと言われるのがモヤッとするなど、「若いこと=価値がある」という風潮に違和感があるというものでした。そういった風潮のなかで、何か自分にできることはあるでしょうか?
スー:まず、その正義の拳を下ろせという感じですね。社会の価値観って人がつくっているもので、その価値観に影響されて自分も育っているわけです。自分の考えと相反する立場のものに関しても、自分のなかにもその感覚や考えが内在していると、まず思ったほうがいい。
自分を見つめてみると、たとえば人がそういうことを言ったときに「うんうん」と肯定していたのを思い出したり、若者ぶったことがあったり、あるいは若く見せている人をちょっと信用していない……みたいなところがあったりとか。自分もその価値観にからめとられてる部分があるから、人にやられるとモヤッとするという場合もある。
「若く見えるよね」と言われたら「ああ、そうなんだ」でいいし、「もっと若い格好したら?」と言われたら、「そうなんだ」と答えながら別に言うこときかなくてもいい。他の人が瞬間に発する言葉をコントロールすることは不可能なので、そこはもう気にしない。気にしないけど、イラッとしたなら自分のなかにもその要素が内在していると疑って、その理由を探す旅に出たほうが有益かな。
Q.漠然と30代になったら「終わる」という不安がある
A.びっくりするくらい終わらないから大丈夫
─次のお悩みは、「いま20代なのですが、漠然と30代になったら『終わる』という不安がある」です。
スー:わかる。わたしもそう思ってた。30代が『アルマゲドン』みたいなところありますよね。でも、びっくりするくらい終わらないから大丈夫。むしろ始まる。
─(笑)。
スー:でも、その気持ちはすごくわかります。そういう着地点のない話を友達と延々して、ドリンクバーで飲み物を何回も飲むのがいいですよ。
Q.ひとりで夢を追ったり冒険することへの抵抗がある
A.まわりと自分が違うことを気にしない訓練をしたほうが得策
─次です。「年齢が上がるにつれてまわりが落ち着いていくなか、ひとりで夢を追ったり冒険することへの抵抗がある」。
スー:わかる。それもすごくわかります。夢を追うこと自体は年齢と関係がないことなので、まわりと自分が違うことを気にしない訓練をしたほうが得策だと思います。
ただ、20代のときと同じようにがむしゃらにやっているんだとしたら、やり方を変えたほうがいいかも。別のアプローチを模索するのに、よい機会かもしれません。
Q.「オバサン」と自分のことをみんなの前で堂々と言えるような人のほうが、人間ができてるっていう感じに少し抵抗がある
A.「抵抗がある」ってそもそもどういう意味なのかな
─次は「『オバサン』と自分のことをみんなの前で堂々と言えるような人のほうが、人間ができてるっていう感じに少し抵抗がある」という相談です。
スー:私はそうは思わないなあ。この感覚は人それぞれかもしれませんね。だけど気になるのは、「抵抗がある」ってそもそもどういう意味なのかってこと。いただいた質問の一覧には「抵抗がある」という言い回しがいくつかありましたよね。はっきり言うと「やだ」っていう感じですかね? 不愉快とか、気持ちがしょげる、みたいな感覚でもあるのかな。
─お悩みを寄せてくださった方がどういう気持ちで書いたかはわからないのですが、悩んだり揺らいだりしながら自分自身の問いに答えが出せていない状態において、断言するのが難しいとか、そう言い切っていいのか、みたいなところもあるのではないかなと想像しています。
スー:そうですね。たとえば「モヤモヤする」という言葉は「具現化できない」ということを表しているのかなと思うのですが、「抵抗がある」みたいな言葉に関しては、『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎/2014年)で書いたことで思い出すことがあって。
わたしは「びっくりしちゃった」という言葉を否定の意図で使うのが嫌いなんです。たとえば「あの人あんなことしていてびっくりしちゃった!」って、全然びっくりしてないじゃんっていう。「あの人はあんなことをするから非常識だ」って意味でしょ? そういう言葉使いでも暗黙の了解で話は通じるし、大人な感じもするかもしれないけど、ものわかりのいい口のきき方ばかりしていると、自分がなにを考えているか本当にわからなくなってしまうこともあるから。
─ああ……本当にそうですね。
スー:『それでもいいのだ』では、「大人だって傷付いている」という章を書いたんですけど、寂しいとか、構ってとか、慰めてとか、はっきり言ったほうがいいと思うんです。
「オバサンと自分のことをみんなの前で言える人のほうが人間ができているような感じ」が嫌なのであれば、「開き直れる姿勢が強いとされると、わたしは開き直れないから自分が否定されたように感じる。わたしにも居場所を!」って、たとえば面白半分でも言ってみたら、ハッとする人もいるでしょうし。みっともなかろうが恥ずかしかろうが、そこはちゃんと、自分の真の気持ちを言葉にする。
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