立場を離れること。たとえばオフラインになること。そうじゃないと本当のことは話せない。
─映画の中で「正常」という言葉が、度々語られていました。たとえば過激派は女性の正装を強要し、社会にとっての正常であれと訴えてきます。しかし、ネジュマは個人の正常を信じていた。社会の正しさと個人の正しさの折り合いは、非常に難しいことだと思います。牧村さんも「何が正常なのか?」という問いをずっと投げかけていますが、今現在はどのように考えていらっしゃいますか?
牧村:自分の信じているものは、どのくらい自分の意思によって信じているものなのかは考えなければいけないと思います。政治や社会によって、植え付けられている正しさはある。フランスは「個人の自由」という思想が強くて、フランス語にもその文脈があります。だから、ネジュマだって個人の正しさを信じてフランス語を学んでいた。
私が個人的に思うのは、国際政治で声が弱い方の動きは絶対悪や暴動として描かれがちだということ。理由なく殺す人もいますが、多くの場合、人が何かするからには理由があるはず。でも、そちらに耳を傾けることなく、暴れている人たちの映像を「怖いですね」とだけ眺めて終わるでしょう。社会の正しさだけが印象操作されて、個人の正しさはわからないまま。もっと、「なぜこの人たちはこれをやっているのか」考えることをやめない、ということは気をつけています。
─単純な印象だけで決めつけるのではなく、個々の思想や意見を調べたり考えたりする。大枠ではなく、小さな動きにも目を向ける牧村さんらしい考えだと思います。
牧村:どちらが正しい、とは決めなくていいんです。ただ、画面の中の情報だけを受け取るのではなく、なぜそうなったのか調べなきゃいけないと思います。
─たとえば、「なぜ」を調べて理解したとしても、納得できない場合があります。そうしたときに、相手とどのように接していますか?
牧村:会えるなら私は会いたいし、直接話して相手の意見を聞きたいです。その時には、相手の「立場」をめちゃくちゃ考えます。話したいけど、「立場上」話せないことってたくさんありますよね。本当に話したいことがあるときは、表で話さない。そして、「立場を離れた場所で話しませんか。あなたと私で話したいです」と伝えます。「みんなが見ている」という緊張感のない場所、たとえばオフラインでしか、本当のことは話せないと思います。
─「立場」と「オフライン」で、話せることが変わってきますね。
牧村:「立場」と「オフライン」は、キーワードだと思います。だから、もし本当に話したい相手がいるならば、生い立ちから出会い直すように、順々に話を聞きたいです。
─無意識のうちに、例えば「男とはこうだ、女とはこうだ」というふうに決めつけて、相手の話を聞くことをサボっているところはあるかもしれないです。人と人が生い立ちから出会い直すように、丁寧に話を聞いていくというのは素晴らしいことですね。
牧村:意識的に、個人と個人のコミュニケーションを増やしていくしかないですよね。最近思うのは、SNSでも自分の意見を承認されたい人が多い。好きな映画だったとしても、誰かが酷評していたら「私の考えはいけないのかな?」と思ってしまいます。目の前の人や、自分自身とコミュニケーションをしているのに、大衆を気にしている人が多いと感じます。
─本来の映画は、「映画と私」で対話できる尊い時間だと思います。だから、感じ方はあなたのものなのに、自分の意見にいいねをもらうことやリツイートされることに意識が向いてしまうのは違います。もっとオフラインの感じを大切にしたいと思いました。この映画も、人にわかってもらおうとすると難しいけれど、感じ方がそれぞれにある映画だと思うので、信頼する人と語り合う時間がたくさんできてほしいです。
牧村:本当にそう。インターネットは、いいねをもらうためのものじゃない。語り合うためにも使っていけるはずです。