その作品のタイトルは被写体の彼女が決めてくれた。
私達が一緒にキャバクラで働いていたときの彼女の源氏名だ。
「ビジュアルが強い作品やし、あんまり意味ありげなタイトルにしたくないんさな。もう『無題』でも良いくらい。何か良いタイトルないかな? 考えてよ」
私が急に投げかけたその言葉に「『沙和子』でええやん」と彼女はすぐに答えてくれた。
そんな彼女との出会いは大学の入試の日。席が隣だった。
1年浪人した上に、その大学は滑り止めのつもりだったので緊張することもなく教室に入った。周りは制服の子が多く、たった1歳年下なだけだが、高校生かそうでないかの1年の差は大きく「みんな可愛らしいなぁ」と感じた。
席に着くと、隣の席の彼女はイチゴミルクの飴を袋ごと持って、ボリボリとそれを食べていた。緊張感は全くなく、何処を見つめるでもなく、ぼんやりした目で飴を食べている。
「絶対現役生じゃないやろうなぁ」と思いながら見ていると、私が見ていることに気付き「食べる?」と飴の袋を差し出してくれた。
当時甘いものが苦手だったので「いや、大丈夫」とだけ返すと、また彼女はぼんやり遠くを見ていた。
入学式の日、教室に入って出席番号順に座る。私の隣にはまた彼女がいた。
「入試の日、イチゴミルクの飴食べるって聞いてくれたよね?」と聞くと、彼女も私のことを覚えていた。
それから仲良くなるのにさほど時間はかからなかった。
大学生の19歳か20歳かの差は大きい。1つ年下のまだお酒が呑めない他のクラスメイトよりも付き合いやすかったし、お互い喫煙者だったので、休み時間は二人で喫煙所で過ごした。
大学生活4年間の中でときにはアルバイトも一緒になり、24時間一緒にいる日が何日も続いた。
彼女と私には独特な距離があり、とても仲が良いかもしれないけど、だからといって彼女が私に全てのことを話したり、一般的な女子の親友像である「とっても仲が良い女の子、何でも話すし大親友♡」といったキラキラしたノリとはかけ離れていた。
彼女が恋人と別れた報告をしてくれたことがあった。その恋人は私も何度も会ったことがある人だったし、付き合いも長かったので、いつかは結婚するのではないかとまで思っていた。私は驚いて、いつ別れたのか確認したら3か月も前とのことだった。
毎日会っているのに何故話してくれなかったのか、と口では言ったりもするけれど、彼女が言わなかった理由も何となく分かっていたので、それに対して深く追求することはなかった。
彼女はきっと自分の感情を周りに見せることが苦手で、恋人だったり家族だったり、身近な人にしか自分の感情をぶつけたりしない。もちろん私たちと遊んでいて楽しそうに笑ったり、イライラして少し八つ当たりしてくることはあるが、子供のように泣いたり、怒ったり、そういった姿を見たことはなかった。
きっと別れた彼のことを話すことも、自分の気持ちが落ち着くのを待って、報告してくれたのだと思う。
それまでは自分と性行為をしたことがある身近な男性ばかりを撮り続けてきたのだが、自分が女性として産まれてきて、いい意味でも悪い意味でも女性としてのコンプレックスを持っている私は、大学を卒業してから女性を撮りたいという気持ちが湧いてきた。単純に撮りたいというよりも、もっと女性とそして自分自身と向き合いたかった。
彼女に作品作りの被写体を頼んだ。私の周りには「作品のために」ヌードになってくれる女性はたくさんいた。アートに理解がある人が多かったし、そもそも価値観として「裸は恥ずかしいものだ」という考えを持たない人が多かったからだ。その中で彼女を選んだ理由は、単純に体型が好みだったから。また、大学4年間、自分のそばで作品を作る姿を見てくれていたので、他の人に比べて私のことを理解してくれるだろうという気持ちもあった。
彼女を被写体とした初めての作品に「沙和子」と名前を付けたことから、彼女のことを周りは「沙和子」と呼ぶようになった。
私の気持ちとしては、「沙和子」は作品名で、彼女には彼女の名前があるので、最初は周りから彼女のことを「沙和子さん」などと呼ばれることに違和感があったが、彼女の本名を知らない周りの人達にとってはそれが一番呼びやすい名だと分かっていたし、ずっと受け入れてきた。
そうして撮影していくうちに、私から見ても彼女の中に「沙和子」を感じるようになった。
私と遊んでいるときと、撮影しているときの空気が何となく違うのだ。「そりゃ、友達と遊んでいるときと裸で写真を撮られているときのテンションが同じなわけないでしょ?」と思う人は多いかもしれないが、初期作品『沙和子』を撮影しているときは変わらなかった。裸で私の前にいても、いつもと同じように話して、ふざけて……。裸でいてもそうじゃなくても、カメラを向けていてもそうじゃなくても全く変わらない。それが彼女だった。
でも2014年頃から少しずつ、撮影をしている間は「無」になるようになってきた。あんまり話さず、どこかを見ている。まるで抜け殻になったようだ。
私はどんどん彼女に自分を投影して撮影をするようになってきていたので、私もそれが心地良い。
「沙和子」の中に自分自身を感じる。同じ歳で身長も体重も近いので、彼女の体の変化を自分の体の変化を受け止めるように観察し撮影している。
彼女自身も「沙和子」を少し楽しんでいるように思える。
ある日、私に知らない男性からメールが届いた。そのメールには名前すら書かれていなかったのだが、「自分が声をかけた人が裸になっていて、とても驚きました。すごく魅力的で美しい人でした」とあった。私はそのメールだけでは意味が分からず、すぐに彼女に転送をした。「自分が声をかけた人」とあるが、彼女と会ったことがある人なのか。彼女から来た返信には、彼女が地元でナンパされたときに名前を聞かれて「沙和子」と名乗ったこと、「何やってるの?」という質問にも「なんか、モデルみたいなこと。沙和子で検索をしてみて」と答えたと書かれていた。
彼女もまさかその男性が私にメールをするとまでは思っていなかったらしく、二人で大笑いをした。このエピソードがあって、彼女も「沙和子」を架空の人物のように楽しんでいるんだと確信した。
彼女は彼女で私の大切な友人である。でも彼女とは別に生まれた「沙和子」の存在を私はこれからも大切にしていきたい。