私は、音楽を聴いた時に浮かぶ情景、色彩や形を五線譜の上にドローイングしながら記録するという、「スコアドローイング」と勝手に命名した手法で絵を描いている。
小さい頃から、絵を描くことも音楽も好きだった。
体が弱くて運動神経も鈍く、とにかく自分の体が疎ましかったので、感覚だけの世界に浸っているのが心地よかったからだ。
記憶の糸をたぐる。
自分の体のまわりにたくさんの漫画を広げて、テレビはつけっぱなし、落書きをしながら寝転がっている子供がいる。
小学校にあがる前の、幼い私だ。
ある日も同じように寝転がって絵を描いていると、テレビからとても美しい曲が流れてきた。ルノワールの絵画風の少女たちが陽射しの下で戯れている、どこかの洋菓子のCMだった。私はその曲を一気に気に入り、初めて聴いたにも関わらずまるで昔から知っていたような懐かしさを感じた。CMが流れているたった数秒の間だけで、様々なイメージや色彩が浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。
小学生になってからは、学校から帰るといつも居間の一番大きな窓から身を乗り出し、近所の子供たちを眺めていた。幼少からある吃音で低学年を特殊学級で過ごしていたため、話し相手が大人しかおらずつまらなかった。だから、見ているだけでも楽しかった。
子供たちが家に帰り、祖母が夕飯の支度を始める頃、後ろでご飯ができあがる気配を感じながらテレビを見る。アニメの再放送はもちろんのこと、NHK教育の『音楽ファンタジー・ゆめ』という数分程度の短いアニメーション番組が気に入っていた。クラシックの曲が流れ、その曲のイメージや抑揚、盛り上がりに合わせてCGのナスやネギが飛んだり跳ねたりする映像が2本ほど流れる。子供ながらに、変だなと思いながら見ていた。
私も今、音楽からイメージを受け取って絵を描いているけれど、あの時ブラウン管で見た『音楽ファンタジー・ゆめ』と同じようなことを紙の五線譜の上でやっているのかなと今になっては思う。
10代はアイスランドのバンドやGodspeed You! Black Emperorといったポストロックにハマり、好奇心の赴くままに絵も漫画も音楽も、色々なものを見て回った。自分の中の世界も拡張して楽しかったけれど、家族との問題に悩むようになってから行動や精神が極端になっていった。長いこと食べなかったり一気に食べて吐いたりしているうちに、胃酸で弱った歯が順に折れていき、体毛が異常に増えた。
気持ちの落ち込みと共に衛生観念と羞恥心もほぼ無くなり、2か月以上シャワーすら浴びず、それでも毎日登校はしていたのだから周囲の迷惑を考えると恐ろしい。両すねにハイソックスで隠しきれないほど毛をはやした牛蒡のような足で、私は毎日町を徘徊していた。
父は黙って近所の皮膚科へ車で送ってくれ、医師に足を突き出すと「多毛症」という診断がおりた。ホルモンバランスの崩れが原因らしく、そういえばもう1年以上も生理がきていなかった。
大学に入り、家族や世間に対し従順を守っていた私の針が振り切れ、都内で一人暮らしを始め就活すらせずバンドとバイトに明け暮れていた。
この時、アメリカのシンガーソングライター、ダニエル・ジョンストンのドキュメンタリー映画『悪魔とダニエル・ジョンストン』を知人に勧められて観た。
躁鬱病を抱えながらも、まるで天命のように音楽と向き合う人。なんだか不思議な懐かしさがこみ上げて、少しだけ、私も昔のままで大人になりたかったなと思った。
エンディングの“Some Things Last A Long Time”という曲が本当に格好良くて、何度も何度も巻き戻して聴いた。
この時、感動しながら目の前に見えたイメージを五線譜に描きだしたのが、この作品だった。
これまでの私は「こんなはずじゃなかった」ということばかりだったけれど、この楽譜を描けたんだから良いじゃんね、と思えた。
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これまでドローイングした楽曲は全て、聴いた瞬間から描かずにはいられない強力な引力が働いているものばかりだった。有名か無名かどうかは関係なく、音楽家が持つ表現力と内的世界を前にすると私のあるんだか無いんだかわからない個性のようなものや小手先の経験値は吹っ飛ばされ、曲の中へズブズブと没入していき、その最下層で決まって自分自身と会う。その自分とは、悲しいこととは無縁で、社会に迎合せず、どこも傷ついていなくて、奇跡的に創造的なままで生きてこられた、最良の人生パターンを送ってこられた自分自身であり、ペンを走らせている時だけはその私になることができる。この時は、世界も憑き物が落ちたように静かだ。
実は先日、父が手術中の事故にあってそのまま意識が戻らなくなってしまった。
狂ったように病院に通って回復を祈ったが、事故が発生した病院側の態度は非情だった。
父にはずっと心配をかけた。
もし私がこの先の人生で報われることがあった時、一番に報告したい人だった。
こんなことさえなければ、この病院までの道もこんなに通ることはなかっただろう。
歩くだけで後悔と悲しみが襲ってきて、イヤホンで耳を塞ぐことでやっと生きていけたような日々だった。
半年以上経ってからわかったことも色々あった。
今、視覚も意識も失った父は、自分と周りの人間とを比較するものさしを持っていない。
「幸か不幸か」などという、通説の概念では計り知れない境地の中で、今も命の火を燃やしている。
それも間違いなく、一つの生き方だ。
介護士の方いわく、人間は何かの感覚が閉じると脳の中に新しいネットワークが生まれ、新たな感覚が生まれることがあるようだ。なので、側から見てすべての能力を奪われてしまったように感じても、我々の想像もつかない次元の何かを思考し、傍受している可能性がある。
父の頭蓋骨の中で広がる小宇宙で起きている出来事は、誰も計り知ることはできない。
これから何が起きようが、私の人生は私が私である限り続く。
幸も不幸も、すべての出来事が私にとってかけがえのない瞬間とするために、体に刷り込まれてきたすべての出来事を総動員して表現を続けていきたい。
スコアドローイングは芸術ではなく、イラストレーションでもなく、ただの一個人が発見した“自分が自分として生きていくための発明”だと思っている。