西瓜糖の日々 そしてこの夏のこと/秦レンナ

ブローティガンの『西瓜糖の日々』と重ねながら

2018年8月 特集:刹那
テキスト・写真:秦レンナ 編集:竹中万季
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暑すぎてかなわないこの夏のことをわたしはまたふたたび思い出すこともあるだろうか。

音のない夕暮れの雷はフラッシュのように何度も光っては灰色の雲の形を映し出す。心配した台風はそれていき、ときおり吹く強い風だけがなんとなくその“けはい”を伝えてる。畑に沿って植えられた背の高いひまわりたちが思い思いに大きく揺れていた。

わたしはスカートをはためかせながら坂を下り、考えている。あるいは味わってる。いま、ここにあるものたち。見えるもの、聞こえる音、におい、肌触り。それから、いつの間にか忘れてしまうものたちのこと。

坂の上には馬頭観音があり、この道の先のこんもりとした林の奥にはK酒造の銀色の大きなタンクがのぞき、畑の向こうには赤茶色のマンションが見える。視界に入るそのほかのもの。だだっ広い駐車場、自動販売機、それを反射する水たまり。
数年前に新しい駅ができてから、まわりにはスーパーやファミリーレストランやクリーニング店ができ、住宅もずいぶん増えたけれど、この坂を下りながら見える景色はそう変わっていないように思える。
わたしは10歳のときに引っ越してきて、それから22歳までをこの場所で過ごした。
この坂道ではじめてのキスをし、あの酒造タンクの脇の細い道で痴漢にあった。あの駐車場に車をとめてマンションから出てくる幼なじみの彼を待った。

いくつかの恋愛に打ちのめされ、東京からまたこの場所に帰ってきたわたしは、そんな変わらない風景を見つけては思い出してしまうのだ。ふっとよみがえってはまた消えていく鍋のなかの泡のような、なにかが不意に心を揺さぶっていくような感じで。たとえばこんな夕暮れに。

ーーー10代の夏。みんなで車に乗ってちかくの小さなクラブまで行く夜。
わたしはいつも早々に飽きてしまうか眠くなってしまって、いろんな煙のにおいで息苦しい空間から抜け出し、表のフェンスに寄りかかって涼んでいた。まわりにはなにもなく、フェンスに囲まれた空き地の向こうには高架が見え、その向こうにラブホテルのちかちか光る看板がいくつか並んでいた。クラブの扉が開くたびに爆音が漏れてくる。大きなTシャツを着た男の子たちが出入りしていくのをわたしはぼんやり眺めていた。
ユウ、おんちゃん、ワラ、シンケくん、ユウタくん、ハラダ、クミちゃん、ナオキくん。
中学生の頃よりずっと大きくなった体。男の子たちはどんどん大きくなっていく。
みんながだらだらと話したりふざけあったりしている間、わたしは足元の砂利をいじったり、フェンスにおでこをつけたりして夏の夜をじっと感じていた。
こんなふうにわたしたちはすぐに止まってしまう時間のなかにいる。朝はまだまだ来ない。
2台の車にわかれあてもなく走り出すと、だれかがヒロキをよぼうと言い出す。わたしはユウの肩にもたれて目をつむる。となりでナオキくんが無茶苦茶なラップをはじめて、みんな笑い出す。
わたしたちの夏の夜はいつもそんなふうだった。
あの頃、確かに時間は止まっていた。
わたしたちはいつの間にか流れていき、別れて、忘れてしまった。おでこをつけたフェンスの鉄のにおいとみんなの笑い声はいま、どこにあるんだろう。

ーーーまたある夏のこと。
わたしは、商店街のアーケードに吊るされた七夕飾りが風になびいてきらめいているのをゆっくりと見上げながら歩いていた。

わたしは、眠くなりはじめた午後の砂浜で、海の水面が光を受けては細かく砕け散っていくのを火照った体で見つめていた。

わたしは、クーラーを効かせた部屋のなかから、大きく育った蘇鉄の木と揺れる洗濯物をながめ、今日の夕飯のことを考えていた。

頬についた畳のあと、ゆでた枝豆の青さ、ささくれにしみる塩、ラジオから流れてくる古くさいサーフミュージック。

夏のこんな夕暮れに思い出すことは、なんて刹那的なことばかりだろうか。
こんなふうにわたしのなかにあり続ける刹那こそ、もはや永遠なのかもしれない。わたしのなかだけじゃない、この夏を構成する空気の粒子すべて、だれかの夏の刹那なのかもしれない。

ーーーブローティガンの『西瓜糖の日々』(※)のこと。
「いま、こうしてわたしの生活が西瓜糖の世界で過ぎてゆくように、かつても人々は西瓜糖の世界でいろいろなことをしたのだった。あなたにそのことを話してあげよう。わたしはここにいて、あなたは遠くにいるのだから」

物語のなかにいるあいだじゅう、甘いにおいがしている。それはべたべたした甘さじゃない。優しくすんだつめたい甘さだ。そして血のにおいもする。
だれかを心底好きだったけれど、ひとりは現状に満足しなくなり、ひとりは現状にとても満足していた。たったそれだけのことで恋愛はぷつりと終わったりする。そしてまたちがうだれかを好きになり、ひとりは夢中になり、ひとりは傷つき悲しみにくれる。
西瓜糖の世界でも、忘れられた世界でも、そこらじゅうで起こってきたことだ。
たいしたことなんかじゃない。
ぜんぜん、たいしたことなんかじゃない。

ーーーこの夏のこと。
渋谷でおそくまで飲んでいたときに、ふと、こんなことを言われた。
「恋って、もっと儚いものだと思うけど」

私たちの目の前には、ドーナツとビールと白ワインという奇妙なメニューが並んでいて、その油っぽいドーナツ(頼めばビールが半額になるというからお腹も減っていないのになぜか彼が頼んでしまった)をかじりながら(そしてすぐお皿を彼の方へ押しやる)わたしはいままでの恋愛についてとか、これからはこんな恋愛がしたいみたいな不毛な話をしていたように思うのだけど、もうよく覚えてない。

だけど、ああ、と思ったのだ。

刹那なんて刹那なんて、もうたくさんだ。

刹那をのろいたい。

そう思ってた。それは、刹那を愛する男たちとの恋愛においてさんざんな経験をしてきたために。

「儚いからこそ、大切にしようって思うけどね」
彼は、ドーナツのお皿もビールグラスもきれいに空にして言った。

わたしはなにか“ちゃんとしたもの”にしがみつきたくてしかたなかった。ちゃんとしてない人とちゃんとしてない恋なんかしない、そしてそのためにはわたしが“ちゃんと“してなくちゃ。そんなふうに考えることにしていた。
まわりの友人たちがどんどん結婚し、子どもを産み、家族を作っていくのを、心から嬉しいと思いながらやっぱりどこか切なく感じていたし、わたしはどうして彼らのようにはなれないのだろうと思ったりもした。だれにでも優しくしたかったしだれかの役に立ちたかった。だけど見渡してみればなにもかもがわたしの一人芝居のようであり、そしてそこにスポットライトは当たっていないのだった。
そんなとき、“ちゃんとしたもの”を信じたくなった。それは永続的に続き、頑丈で、しっかりとわたしを支えてくれる、と。
だけど、その思考がたまにわたしを息苦しくさせもしていた。

ーーーふたたびブローティガンの『西瓜糖の日々』。
「『心のことってのは、わからないんだよ。先のことがどうなるか、だれにもわからない』とわたしはいった。『そうね』ポーリーンは立ち止まると、わたしに口づけをした」

わたしは、しばらく忘れていた。刹那が美しかったことを。儚さを、それらが生き延びている世界のことを、またわたしのなかにもその世界があったということを。
どんなときだってイメージを忘れてはいけない。

あの頃、確かに時間は止まっていた。
わたしたちはいつの間にか流れていき、別れて、忘れてしまった。

ーーーそして、ふたたびこの夏のこと。
わたしはいま、思い出してみている。あの感覚を何度も何度も。
そうこうしているうちにきっとこの夏も終わるだろうし、秋はやってくる。でもいまはけっこう気楽だ。恋は儚いんだったってことに、この夏もう一度気づくことができたから。刹那をのろいたくはない。そうだ、儚いものはうんと大切にしよう。
わたしは長いスカートをはためかせながら歩くのが、とても好きだ。

※「西瓜糖の日々」リチャード・ブローティガン著/藤本和子訳
ほとんどのものが「西瓜糖」でできたコミューン「iDeath(アイデス)」では、西瓜糖油のランタンが灯り、川底には死者たちが眠る。「決まった名前をもたない」主人公は、恋人のポーリーンや仲間たちと平穏な日々を過ごしていたが、「忘れ去られた世界」に取り憑かれた過去の恋人や、野蛮な「インボイル」、両親を食い殺した虎たちもそこには寄り添って存在している。美しい幻想的な世界の中に漂う死や残酷さ。まるで一遍の長い詩のような物語は、静かな夏の夜に読みたくなります。

PROFILE

秦レンナ
秦レンナ

記者をしながら、選書、文筆、zineの発行などを行っている。 「BABY」「RIVER」「MOON」を発売中。

INFORMATION

書籍情報
書籍情報
『西瓜糖の日々』
著者:リチャード・ブローティガン
翻訳:藤本 和子

価格:842円(税込)
発行:河出書房新社

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