1:歴史や意味をよそおう装置としての制服
人間を画一化する「制服」や「規範」に対する概念は、東西で大きく異なる。
日本生まれで飛行機の乗務員である私はフライトのたび制服に合わせた髪型やメイクなど、行先や客層を予想してあれこれ工夫するのが大好きだが、昨今は「女性クルーの化粧必須」という条項を撤廃する流れも出てきた。
数年前から若い男性の乗務員や乗客がごく薄い化粧をほどこしているのをたまさか見かけるようになった時期とほぼ一致する。
記録に残る世界最初の航空客室乗務員は男性で、ドイツDELAG社の飛行船ツェッペリン号に配属された。1912年のことだ。制服らしい制服はなく、彼が着ていたのは当時の男性全般の正装としての黒いジェネリックな丈長スーツである。
そこから18年後の1930年、看護師で操縦士でもあった米国のエレン・チャーチ(Ellen Church 1904-1965)という女性が「操縦士としてではなく、看護婦として乗客の不安に対処する要員として有用」という理由でBAT(現ユナイテッド航空)に採用され、現在のフライトアテンダントという職業が誕生した。
当初の制服はゴツゴツした色気のない生地のスーツに重苦しくもっさりしたスカートが多かったが、戦時下の物資不足によりその丈は徐々に短くなっていった。
社会が少しずつゆたかになるにつれ、制服にさまざまな意味合いが付与されるようになる。
NYマディソン街の広告会社たちが空の旅へのイメージ展開を始めた50年代からは、戦争の影を払拭するかのように各社がこぞっておしゃれモードに突入した。
1955年にTWA(トランス・ワールド航空)がケネディ大統領夫人ジャクリーンのスタイルを手がけたオレグ・カッシーニを起用、1959年にはビバリーヒルズの多才な服飾家ドン・ローパーがPanAm(パンアメリカン航空)を一気にスタイリッシュなアイコンに押し上げた(ディカプリオ主演の映画『Catch Me If You Can(2002)』スチュワーデスの薄青い制服を覚えているだろうか?)。
60年代の幕開けを目前に世界各地で少しずつ人権意識が高まり「年齢や人種、性別による不当な差別」への訴訟が増加、制服のデザインもそのムーブメントを受け、女性の体を窮屈に締めあげるガードルや必須とされた白手袋の代わりに、カラフルで近未来的なものが登場した。
1965年に米ブラニフ航空が「The End of the Plain Plane(味気ない飛行機の旅に終止符)」キャンペーンでエミリオ・プッチによる宇宙船をイメージしたカラフルで自由な組み合わせのアンサンブルを発表、気温の上下に合わせて着脱できる「The Air-Strip(空の上でストリップ)」というコンセプトは性革命の潮流に呼応すると予測した広告代理店の戦略は成功した。
70年代の華やかなサイケデリックブームのピーク時には突飛で奇抜なものも多数出現して世は百花繚乱、モードの世界にリゼルグ酸アミド元禄が到来した。
あるとき敬愛するベテラン上司が往年の超ミニ原色ワンピースにロングブーツ、風になびく長いスカーフの制服姿の写真をこっそり見せてくれた。
「なんだか照れちゃうわね」とモジモジしていたが、写真の彼女は潑刺として美しい。
「誇らしくは思いませんでしたか? 乗務前にご自身の姿を鏡で見たときには」と聞いたら「たしかに、悪い気はしなかったわ」と愛おしそうに写真を見つめた。
色の褪せたその写真を彼女のiPhoneに取り込んでくれたお孫さんも、今春から乗務員として飛び回っているという。
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