「よそおう」という言葉を最初に聞いて思い浮かんだのは、少し肌寒くなった季節の夕方に青い光に包まれてちょっとそこまでお出掛けにいく都会に住む女の子。その子の住む場所は都会なのだけどザワザワしていなくて静かな場所なんだと思う。その子はマンションかアパートに住んでいる。
「おしゃれ」より日常的で、生活に染み付いていて、より個人的な感じ。「ファッション」のもつギラギラさはそこにはなくて、集団によるものじゃなく、絶対に個人の考えやひとりごとが「よそおい」には詰まってる。
だからちょっと寂しいのだけど静かで冷たくてうつくしい。
例えるなら、『オリーブ』や『装苑』で大森仔佑子さんが手がけたスタイリングやデザイナーズブランドの黒のシュッとしたアイテムも「よそおい」にはぴったりだと思う。
なぜだかわたしは「よそおい」という言葉を見たときに欧米の洗練された女の子を想像できない。
マシュマロが挟まったチョコレートビスケットのサンドじゃなくて 雑穀の素朴なビスケット。
刻んだフルーツがたくさん入った豪華なアイスキャンデーじゃなく スプーンで食べるバニラアイスクリームがぴったり。
わたしは自分でコラージュをつくるときに食パンよりライ麦パンの見た目に惹かれるからよく登場させています。
そもそも食べ物の写真が大好きです。
食べ物の写真なら何でもいいわけではなくて、ヨーロッパの家庭料理の写真集に載っているようなものが好みです。
昔の『オリーブ』や『装苑』を集めるようになって、大森伃佑子さんや岡尾美代子さんのことを知ってからますますパンの見た目に注目するようになりました。二人はパンをテーマに『Fedor, ヒョードル』という本を出しているのです。その本は本当にお気に入りで、今は手元にないけれど、もしあったら勇気をもらえるでしょう。
大森さんや岡尾さんが大好きなパンをテーマに本をつくってきたように、個人の好きなものや趣味がにじみ出た作品やスタイルが本当に好きです。
だからわたしもコラージュには大好きなパンや食べ物の写真も登場させたりします。
コラージュは自分が求めてる理想の誌面をつくれるのが面白いと思う。
1冊の雑誌をめくったときにお気に入りのモデルや音楽が集結していると一気に宝物になる。コラージュは自分でそんな誌面を生み出せる、簡単で、とっておきの方法だと思う。
自分の「よそおい」に食べ物が登場することはないし、人に食べ物をつかったスタイリングをすることもないけれど、コラージュ上でなら写真や何かの欠片を切り貼りして「よそおい」と食べ物をかけ合わせることも可能です。
「よそおい」という言葉を聞いたときにわたしの頭に浮かんでいるのは、自分の具体的な服装ではなく架空の他人なのかもしれない。
わたしはまだ「よそおう」ことをしていないと思う。
わたしはただ着ているだけな気がする。なぜだかわからないが、自分が「よそおう」ことよりも、よそおう女の人やその背景を想像したり、それを感じられる雑誌のページや空気や光のほうに興味がある。
自分が何かつくらなければならないときも、わたしについて何か描くよりも、自分が惹かれるものをいかに魅力的にみせれるかを考えていたりする。そして、その魅力的なものへの恩返しをしている感覚であることが多い。
そんなふうに、わたしはいつも誰かの佇まいや思考の方に興味がある。
「よそおう」という言葉について、ここまで考えているとは思わなかった。