わたしたちはいま、治癒の過程のまっただなかを生きているのではないかと感じるのです。感染症の拡大によって変わらざるを得なかった生活、感情、行動。心はわかりやすく目に見えるものではないけれど、多かれ少なかれ、傷のようなものが残っているのではないか。もしもいまわかりやすく傷を負っていなくとも、自分はもしかしたら傷ついているのかもしれなかったという前提で、いまは特別に心やからだをなでてやさしくして癒やしていい。
連日のニュースを埋め尽くす緊張感のある情報や数字、それらは重要である一方で、のびやかに紡がれた詩や短歌の言葉が、頭を満たしていた考えをときほぐし、ゆさぶり、ずらすことがある。そういう、自分で自分をたすけるための癒やしを宿した言葉を寄せていただきたいと、伊藤紺さん、大崎清夏さん、戸田真琴さん、初谷むいさん、文月悠光さん、雪舟えまさんに詩や短歌をつくっていただきました。
ここに縛られるものとしての言葉ではなく、自由に揺れ動けるようになるための言葉を。
伊藤紺さんの詩「いま」
作品に寄せたコメント
自分にとっての「癒し」とはなんだろう、と考えてみて、「いま」に焦点をあてた短歌を書こうと思いました。日々のなかで感じたこと・考えたことを、社会のただしさでジャッジせずに、ぼんやりと見つめ続ける。食べて、寝て、触れ合いながら「いま」を受け取る時間が、過去の傷をゆっくり癒し、この先、わたしがわたしでいられる強さを育ててくれるように思います。もちろん、ゆずれないことはゆずらずに。自分なりの、あかるい未来のイメージをもちながら。(伊藤紺)
大崎清夏さんの詩「プラネタリウムを辞める」「繋ぐ」
作品に寄せたコメント
切断することについての詩と、接続することについての詩を書きました。優しい人が心配です。優しさはきりがないから。自分の優しさに削られることはあるから。切断よ接続よ、優しさに休日を与えよと思います。あなたよ生きよ、その隙にと思います。(大崎清夏)
戸田真琴さんの詩「P/M S」
作品に寄せたコメント
午後になってからやっと動けるうだるような暑さの夏の日のように
人生には痛みながら生きている時間が必ずある。
単純な「治す」にたどり着く前の、まだ痛んでいるままの私たちの一瞬を記録する。(戸田真琴)
初谷むいさんの短歌「祈りぐせ」
作品に寄せたコメント
ありとあらゆるものは気がついたら擦り切れてしまっている。
例えばお気に入りの靴の底がずいぶん減っていることに気付いて
そこでようやく悲しくなることとか、あると思います。
多分心もそうで、すぐ擦り切れて、だからやさしくすることや
祈ることでまわりの人や自分自身をできる範囲で守ってあげたい
とか、考えたりしています。
わたしたちはこれからもきっと、大丈夫です。(初谷むい)
文月悠光さんの詩「見えない傷口のために」
作品に寄せたコメント
「なぜこの世でただ一人の味方である自分自身を"ないがしろ"にしてしまうんだろう」「他人の生き方を否定しないと誓いながら、なぜ自分のそれは決してゆるせないのだろう」。これは、そんなセルフケア下手のあなたに向けた詩です。
怒りや涙、血を見ると、それがちゃんと「汚い」ことに、どこか安心する自分がいます。不甲斐ない自分が癒やされていくのを実感します。私たちは時折、空回りや遠回りをします。繊細すぎて殻にこもり、相手に刺々しい態度をとっては、自己嫌悪に陥ることがあります。そうした見えない傷も、この世界は受け入れ、包んでいることを思いながら、私はいつも詩を書いています。詩の言葉がつらい気持ちの吸収剤となり、あなたにひととき寄り添うことを強く願っています。(文月悠光)
雪舟えまさんの短歌
作品に寄せたコメント
この心臓を動かし、呼吸をさせ、髪や爪を伸ばし、傷ができれば組織を再生していく力がある。
その根源てきな力のことを忘れていても、「癒し」はつねに自動で起こり続けている。(雪舟えま)