「プラネタリウムを辞める」大崎清夏
Iさんがプラネタリウムを辞めた。雨の
降っている日だった。毎朝いちばん早く起きた
人が空を見ていい天気かわるい天気か決める街でその日はわるい
ということになっていたけれど、雨はわるくないことを誰も
わるくないことをIさんは知っていた。誰も
わるくなく雨もわるくなくてもプラネタリウムの仕事を
辞めなくてはならなくなることもあるのだった。地球
以外の星から見れば、蠍座は蠍の形をしていない。
でもほんとうは地球から見ても蠍の形なんてしていない
ことをIさんは知っていた。
五千年も昔に誰かが放った想像上の蠍を、私たちはいまも
たいせつに養っている。プラネタリウムには蠍の物語が
いつでも取りだせるよう密封してある。
Iさんは傘をさした。
傘の表面にばらばらと落ちてきた水滴をつなげると鳩座だった。
あっちにもこっちにも鳩座ができた。鳩たちの羽が濡れていた。
天体は運行していた。樹木も菌も恋人たちも等圧線も地表も
すべては動いていた。感覚器では察知できないものの名前を
私たちは学び続ける。
Iさんは水滴を振りはらった。
ららららっと鳩が飛びたった。
「繋ぐ」大崎清夏
あなたの声は震えています。
会えないからじゃなく 届いてしまうから。
自由なのに 寂しいとばれてしまうから。
わたしの声はあなたを
甘やかしてしまうと思います。
真夜中にしずもるパン種のように
ふちふちの多孔質の構造をもち
親指のかわりにあなたの眉を
触ってあげると思います。
食べなさい泣きなさい。
生き延びろ生き延びろ。
わたしの声にはどうも
意味が付着してしまうけれど
もう今晩は仕事は止めにして
主張も弾劾も抵抗も止めにして
(あ、ちょっと待って……飲むものを取ってきます。)
低く低く 深く深く。
はぷきすもなむきすも。
れむたあくれむたあく。
わたしはそちらで 震えていますか。
あなたは届いて ここにいます。