空爆の日に、他人の家に泊まり、セックスもなく、ただ夢を見て日記を記す。2001年9月11日のアメリカにて同時多発テロ発生、同年10月8日、アフガニスタンへの空爆開始。そんななかで、23歳のひとりの女性がいま遠い場所で起きている「殺戮」を忘れないために、いまここでおなじ時を生きているひとりひとりの「日常」を記録する風変わりなレジスタンスを綴った『空爆の日に会いましょう』(2002年)。そのプロジェクトの発起人であり、著者である小林エリカさんは、その後も、史実とフィクションで放射能の歴史を紐解く『光の子ども』(2013年~)を発表するなど、戦争の記録と記憶をたどり、それを現在に接続し、加害者でも被害者でもあるわたしたちの姿や光を描いている人です。
そんな小林エリカさんに、個人はどこからきてどこへ行くのか? その一瞬の現在地としての「自分」を見つめる機会になればと願いを込めている特集「自分らしく?」のメインビジュアルにイラストを寄せていただき、「歴史を見つめながら自分自身でいること」にまつわるメールインタビューをおこないました。
どこまで自分の心にまっすぐ向き合い、生きたり行動できるかな
・特集「自分らしく?」のテーマをどのように解釈しましたか?
自分らしく、ということを考えたとき、どこまで自分の心にまっすぐ向き合い、生きたり行動できるかな、ということを考えました。
どんなときにも最終的には、自分自身の心に、ハートに、声に、耳をすませて
・作品に込めた思い、考え方は?
他の人から、社会からどう見られるかが気になったり、だれかのためとか、だれかが喜ぶかも、とか考えて行動しまうことが、私はすごく多いです。
でも、どんなときにも最終的には、自分自身の心に、ハートに、声に、耳をすませて、そこに誠実でありたいと思っています。
私があなたで、あなたが私である可能性をいつも忘れずにいたいと、私はいつも思っています
・小林エリカさまは「戦争」をテーマに執筆されることが多くありますが、戦争における被害と加害の歴史を学ばれるうえで、ひとりの人が被害者でもあり加害者でもありえるなかで、ひとりひとりが「自分らしさ」を守るにはどうしたらいいと考えますか?(誰もが自分らしくあるという状態は、他者から加害されないことだと個人的に仮定している部分があるのですが、同時に誰もが被害者にも加害者にもいつでもなり得ると感じるなかで、ではどうしたら「自分らしさ」が衝突せずに保たれるのか? と考えており、この質問をさせていただきました)
自分の心にまっすぐ向き合うと同時に、私があなたで、あなたが私である可能性をいつも忘れずにいたいと、私はいつも思っています。いま、この場所に、こうして生きる私が私であることは本当にただの偶然でしかなくて、私が戦場に生きている私であったかもしれないし、私が被害者であるかもしれない、私が加害者であるかもしれない、そのことをいつも心に留めたいです。
もう死んでしまった祖母ともうなくなってしまった祖母の家に一緒に暮らしていたときのことをよく夢に見ます
・最近はどんな夢をみていますか?(個人的なレジスタンスとしての『空爆の日に会いましょう』から連想して、誰にもじゃまされない夢について質問したいと考えています)
もう死んでしまった祖母ともうなくなってしまった祖母の家に一緒に暮らしていたときのことをよく夢に見ます。
でも別にロマンチックでもセンチメンタルでもなくて、夢の中の私は、あ~はやく一人暮らししたい~みたいに思っていたりします。