教室の風景や、恋人と過ごした時間、夏の終わりの気配。特別でも、そうじゃなくても、夜空に散る花火のように一瞬で過ぎ去っていく時間たちを丁寧に繋いで、私たちは新しい瞬間を迎えて生きています。
She isでは8月の特集「刹那」のギフトでお送りするオリジナルプロダクトとして、写真家の石田真澄さんとパラパラ写真集『afterglow』をつくりました。インターハイ30競技を写したカロリーメイトの広告「部活メイト」の写真などをはじめ、日常のふとした瞬間に宿るきらめきを捉える石田さん。ずっと高校生でいたいと願っていたという石田さんが考える「刹那」について、そしてご自身の写真への向き合い方について伺いました。
撮った写真を何回も確認していく度に記憶が濃くなっていくことがすごく気持ち良いなと思った。
現在大学2年生の石田さん。写真を撮り始めたきっかけは、中学生になってカメラ付きのガラケーを初めて持ったことだったと語ります。
石田:ガラケーを持ってから初めて毎日写真を撮れる状況になって、すごく楽しいなって思ったんです。そのあと14歳の誕生日に買ってもらった小さい一眼レフでずっと撮っていたんですけど、高校に上がってヨーロッパ研修に行ったときに、ガラケーを持つ前から遠足に行くときなどで使っていた写ルンですを思い出して持って行って、そこからフィルムカメラを使い始めました。
ヨーロッパでは写ルンですの36枚のフィルムが使い切れず、帰国してから残りのフィルムを撮影し、1か月ほど経ってから現像に出したそう。現像した写真を見て、なぜ自分が写真を撮ることに楽しさを感じるのか気づいたと言います。
石田:もともと楽しいときにそれを忘れたくないという気持ちがすごく強くて。写真を見て「そういえばこんなことがあったな」って過去を思い出すというよりは、自分の頭の中にある1か月前の記憶を「ああ、これまだちゃんと覚えてる」って確認するんです。英単語を覚えるような感じで。今日単語帳を見て覚えて、明日の朝また確認して、1週間後にまた単語帳を見て……って確認して覚えていくじゃないですか。
撮った写真を何回も確認していく度に記憶が濃くなっていくことがすごく気持ち良いなと思ったんです。毎日を忘れたくない、楽しい時間を残しておきたいという気持ちを再確認するということと、フィルムカメラの相性が合っていたんだと思います。こまめに現像するのではなく、1か月に1回くらいまとめて現像していたので、時間の感覚としても再確認するのにちょうど良いんですよね。それから、フィルムカメラで撮った写真はみんなのために撮るというより、私が思い出を確認したいから、自分のために撮るようになりました。
それから「高校を卒業したくない」と思いながら、毎日学校の風景を撮り続けた石田さん。そんなふうに楽しい記憶を濃く刻みつけながら撮影していた高校生活のことを、彼女は「無敵な感じがあった」と話します。
石田:写真を撮るときは「この時間を忘れたくない」という気持ちが一番強い瞬間だから、1枚の写真を見るとその一瞬につながっている前後の出来事を思い出します。今でも当時の写真を見返すと、高校時代に戻りたいと思います。高校生って、なんか無敵な感じがあったというか。みんな同じ服を着て、同じ席に座って、同じように行動するっていう良くも悪くもちょっと異質な状況って、もうないと思うんですよね。
気づいたら終わってしまうから、私はできるだけ刹那に気づきたくないんです。
「高校生に戻りたい」という気持ちの中、カロリーメイトの広告「部活メイト」を撮影した石田さん。モデルは実際にその競技に打ち込んでいる学生たちで、スタジオや廃校ではなく、実際の高校で撮影が行われました。
石田:実際にある高校で、しかも平日に学生さんが授業を行っている間に撮影しました。私たちが撮影に向かう時間帯は、撮影場所の高校の通学時間だったので、通学路を歩いている高校生を見て、本当に楽しそうだなって思って。自分が渦中にいるときには気づけなかったり、早く卒業して大学生になりたいっていう子も多いと思うんですけど、撮影しながら「みんな、高校時代は今しかないって気づいている?」って思っていました(笑)。
カロリーメイトの広告「部活メイト」。特設サイトでは全競技の写真を見ることができる
私は6年間1クラスしかない中高一貫の女子校に通っていたので、まわりは早く大学に行きたいとか、はやく卒業したいって思っている子たちが多かったし、私も外に出たい、この集団に飽きたなっていう気持ちはあったんです。でも「高校生」というカテゴリーから外れることに対して、「卒業したら今しかない無敵さが失われてしまう」と在学中に気がついたので、卒業に向かって写真を撮ることがどんどん増えていって。
今回の写真集『afterglow』をつくるにあたってのコメントにも書いたんですけど、終わりに気づいてしまうときに刹那を感じると思うんです。私もそのぶん残りの高校生活を楽しもうとはしたんですけど、「気づき損」だなと思っていました。今でも、気づいたら終わってしまうから、本当はできるだけ刹那に気づきたくないんです。
他の季節と違って、夏の終わりや夏の始まりはなんだか明確だなと気がつきました。
ああ夏が来たなとか、夏が終わったなと感じるからこそ、夏は刹那的で夏が終わることに敏感になります。
意外と何事も刹那的ではあるけれど、それに気づいていないことが大半で、気づいた途端に刹那を感じるのだと思います。
この写真集の中にはわたしの好きなものだけを詰め込みました。
afterglowは残照という意味です。
(8月のギフト「刹那」に石田真澄が寄せたコメントより)
集合写真を撮るときの前後にある「みんな集まって!」みたいな光景を撮りたいなと思っていて。
多くの人は学生時代の輝きや尊さに、きっとあとになってから気づくことがほとんどだと思います。石田さんが在学中に高校時代という刹那に気づけた理由は、その独特の視点にありました。
石田:状況を客観視するのが好きなんです。たとえば、集合写真を撮っている人を見ているのとか、すごく好きで(笑)。楽しいときやなにかの終わりに集合写真を撮ると思うんですけど、その前後にある「みんな集まって!」「ちゃんと顔写ってる?」みたいな光景を撮りたいなと思っていて。
あとは、スポーツをしている最中の写真はみんな撮ると思うんですけど、スポーツする前の練習の姿、練習場まで歩く姿、集合写真を撮るまでの記憶っていうのも、アルバムに残っていないだけで絶対にあるじゃないですか。決定的な瞬間のほうが記憶の色は濃いけれど、その前後を写した写真も残しておけると、思い出せる記憶の幅が広がると思います。
光の中を歩く学生たちの後ろ姿。写っている学生たちはこの瞬間を覚えているのだろうか。
思い返すことのできる瞬間をたくさん持ち、記憶をつないでいる石田さん。一瞬のきらめきも取りこぼさないように覚えておきたいという思いが石田さんの言葉、写真から伝わってきます。しかし、いくら高校生のままでいたいと願っても、時間は一方向にしか進みません。高校時代を卒業して大学へ進学し、石田さんの見える景色に少し変化が訪れます。
石田:大学へ行ってからは、自分の写真がどういうものなのかっていうことがだんだんわかってきたり、なんで写真を撮っているのかということを考えるようになりました。大学に入ってから、展示をしたり写真集をつくったりする機会があって、私の写真を見ている人とお話しすることが増えたんです。
2018年2月に出版された『light years -光年-』には石田さんの高校時代の作品がおさめられている
それまでは自分のために撮って、自分の中で消化してきましたけど、まわりの人から「こういう写真だよね」って言われて「ああ、そうなんだ」っていう気づきがあったり、外からの反応に出会うことによって初めて自分の写真を客観的に見るようになりました。
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