日本は子どもの権利がもっと尊重されていい
みさと:子どもはいま二人とも小学校へ行かずに、フリースクールに通っているんだけど、小学校に行っていたときのことを思い出すと、持ち物の内容だけじゃなくて、机の上のどこに筆箱を置くかまで決められていて。ものごとに絶対的な正解があると教えられて育っていくのは怖いなと思います。
長田:うちは娘と息子がいるんだけど、息子も小学校のとき不登校でフリースクールに通っていました。以前、授業参観で体育を見学したら、うんていやジャングルジムへの行き帰りのルートまで全部決められていて、絶対にそこから外れたらいけないし、授業中に感想を言うと注意されて、「みんなが静かになるまで授業はしません」って注意されたりする。はみ出る個性を叩くだけじゃなくて、集団責任にしちゃうのは苦しいですよね。避けようがないもん……。
杉田:私は自分の連載で、自分が中学生の頃に大人に書いてほしかったことを、中学生でも読めるような文体で書こうと決めていて。学校にいた頃の方が、ジェンダーのことについて、グロテスクなほど辛く感じる機会が多かったけど、子どもだから力もなくて、言葉にできなかったから。
みさと:日本は、子どもの権利をないがしろにしていることが多いと感じるんです。コロナの件では、北欧の国々やカナダなどでは首相が子ども向けの記者会見を開いたり、会見で子どもに向けて語りかけて、子どもに対しても社会の一員だというメッセージを発しているんですよね。性教育も、子どもの権利の一つであるはずなのに、軽視されているなと思う場面が多いです。
長田:ぱんちゃんたちと5人くらいで性教育の話をしていたら、そのうち2、3人が中学生のとき、女の子だけ集められて堕胎のビデオを見せられたって言っていたよね。きちんと性を教えないうちに、まるで罰則のように歪めた中絶像を教える。なんのつもりだ!と言う怒りと、その堕胎方法が世界から見ると遅れたやり方なんだよ!と言う二重の怒りが湧いてくる。
杉田:そういうものを、女の子とされている子だけが見せられるのっておかしいですよね。
日常の違和感に声をあげる方法は? 怒る、そして誰かが怒ったときに聞く練習をする
―いま感じている違和感や気づきを発信していくことは、これからの世代にとってもすごく大切なことだと思います。一方で、日常の中で違和感に気づいていても、声をあげづらいと感じている人もいるかもしれないと思って。
長田:もしも身体のことで悩んでいて、誰にも言えないと感じている人がいたら、それは絶対にシステムのせいで、その人のせいじゃないって言いたい。
みさと:私もそう思います。ただ、「知る」って自分の力になることだから、きちんとした情報が届いたらいいなと思うし、そのためにどうしたら届くのか、最近は悩んでいます。
長田:ぱんちゃんが目で見て「楽しそう」と思ったことを大切にしてるって言ってたけど、「楽しそう」だと感じさせるのって大事じゃない?
杉田:自分が経験したことで言うと、ひさしぶりに会った友達とご飯を食べに行ったとき、隣の席に座っているおじさんに絡まれて、怒りながら友達を連れてお店を出たんです。その子はそこまで怒りをあからさまに表現した人を目の前で見たのが初めてだったらしくてびっくりしてたんですけど、私が怒っている姿を見て「良いものだなと思った」って言ってくれて。
みさと:いいね。
杉田:その出来事がきっかけで「今年の目標は、怒ることにする」と言っていて、さらにその理由が「楽しそうだから!」だって言うんです。喜怒哀楽のすべてを自分の感情として受け入れて、人に邪魔されずに表現するって良いことだと自分自身も思うし、友達がそう言っていることにも嬉しくなりました。
みさと:私は4月に本を出したんですけど、怒ったり「NO」と言っていいって伝えたくて、見開きで「NO」と書いてあるページをつくったんです。
長田:性教育をする立場から「NO」が必要だと思うのってどんなことについてですか?
みさと:性被害にあったときに「NO」と言えることはまず大事です。でも「NO」と言えるかどうかは、あくまで積み重ねで。小さい頃ってあまり怒るなと言われるけど、安心して怒れる環境で怒る練習をして、「NO」と言って尊重された成功体験を積まないと、大人になってからいきなり怒ることはできないんです。だから私たちの本では、小さなことから「NO」を言うことを伝えたくて。
杉田:怒るだけじゃなくて、誰かが怒ったあとに、微妙な空気にならないことも大事だなと思います。以前に勤めていた会社で、嫌なことを言われたときに怒ったらすごく場がしらけて。怒りを混ぜると意見を聞いてもらえないことって結構あるけど、感情は大事なことだから、誰かが怒ったときに聞く練習をみんなができていたらいいなと思います。