2:囲障・異称としての制服
まなざす者とまなざされる者とのあわいにある被服の中でも制服はとりわけその「境界線」としての意味あいが強い。
向こうからやってくる制服姿の人間とすれ違うとき、人はそこに自分の知らない言語を耳にしたと信じる。
制服姿で外を歩く人間も、自分(たち)がほかの人の知り得ない特殊な言語を擁するかのようにふるまう。
自宅や滞在先の宿で後ろ手に施錠した瞬間、外界と自分とを隔てていた囲障としての制服の効力がしゅるしゅると蒸発してゆき、ただの汗くさい服になっていく。それを観察するのは最初のうち面白かったが、もう飽きた。
汗と燃料の入り混った匂いがあやない闇の中にひろがり、ひろがる匂いこそが距離なのかもしれないなどとひとりごちながら鏡にぼんやり映る半裸に究極のuniformityを見出したような気がして浴槽にドドド順調に湯は張られてドドドドいるのだろうかそれとも私はまたこのまま冷たい大理石の床に重い昏い疲労の底のそこに制服を脱ぎかけのまま沈んでゆくのか。
映画『恋する惑星(1994)』で金城武とトニー・レオン扮する警察官たちはそれぞれ番号で呼ばれていた。それは人格や個性をむやみに奪うだけのシステムではなく、むしろ新たなキャラクターを貸与するものだ。制服の着用で獲得する別人格はたしかに存在する。
余談だが、とある航空会社で乗務員が勝ち取った権利の一つに「名札に本名表記の必要なし」があると聞き、少なからず仰天した。
自分を自分でまもるための戦いと、自分を自分でないものにするための戦いが、予想外の婚姻に至った特殊なケースだろう。