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「今はもう大丈夫」バスタブのイメージワーク/安達茉莉子

自分自身という「器」にヒビが入って優しさが溜まらないときに

2020年7・8月 特集:癒やしながら
テキスト:安達茉莉子 編集:竹中万季
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今は昔、まだ学生だった頃、待ち合わせた友人に、顔を見るなり「いつも疲れてるね」と言われたことがある。

そう言われたのは体力的には元気なときで、だからこそどきっとした。当時は今よりも考えこむことが多く、内心で自分を責めては「反省」するということにかなりのエネルギーを使い、消耗していた実感があったからだ。それが外見や表情にも出ていたのかと、見せたくないものを見せてしまったように固まってしまったのを覚えている。

「気の持ちよう」というけれど、その気の持ちようによっては思いっきり疲れてしまうことはよくある。自分を満たしているエネルギーが枯渇して空っぽになって、剥き出しの底が大気に触れて沁みるように、ただ疲れるだけでなくて、まるで自分自身が抉られていくように痛む。

今回書くのは、そんな風に自分の身体・心・精神・意識・無意識を全てひっくるめた、生身の私の総体に傷が入ったように感じたときに、密かに実践してきたイメージワークを書いてみようと思う。

ヒビの入ったバスタブ

なかなか生きづらかった当時はどこか、癒やしを求めながらも、一方では、癒えてどうなるのだろう、という気持ちが底の方にあった。
癒えて、また元の、たいして大丈夫ではない私に戻るのか。
それでも、痛くてしょうがない。
美味しいものを食べようとか、友達に話を聞いてもらおうとか、寝る前にストレッチをするとよく眠れるよ、とか、このバスソルトよかったよ、と教えてもらったり。そうしたものをどれだけやっても、満たされない。

バスソルトを入れてみても、バスタブそれ自体にヒビが入っているような感じがする。
お湯は入ってきてもどんどん漏れていって、手で塞いでも止めることができない。温かく、優しい温度のお湯を注いでいっても、溜まらない。そんな自分に泣きたくなる。せっかく注いでもらっているのに、と。
そんな風に、自分自身が壊れているように感じるとき。痛くて、誰かに優しい言葉をかけてもらっても、何をしても、どんどんそれが漏れていってしまうように感じるとき。

ヒビはなぜ入るのだろう。大抵そういうときは、基盤である自分そのものに自信喪失していたり、あるいは傷を受けていることが多い。原因は無数にあって、理由がなんであれ、傷ついているとき時は傷ついている。

イメージワーク(と呼んでいるもの)

自分自身という「器」そのものにヒビが入っていて、優しいものが溜まっていかない。どれだけやっても、満たされない。

そんなイメージを抱いたとき、自分自身がそのままバスタブになったとイメージして、そのバスタブを「光」で修復するようなイメージをしていた。

まず、自分をバスタブのような「器」のように捉える。
そして、痛いね、ヒビが入っているね、と自分自身を全部スキャンするように、感じていく。

そしてその次は、光のパテみたいなものをイメージする。
優しく甘く、柔らかく、細やかに輝くパテ。そのパテは、傷に触れても痛くない(何せ光なので)。

光のパテが傷やヒビを塞いでいくようなイメージをしながら、傷ついたその部分に向かって声をかける。かける言葉が見つからないときは、ただひたすら光のパテを当てるようなイメージをする。

「自分は能力がない」
「こんなんじゃ今後どうしようもない」
「私は愛されない」

そう思う部分。ただ痛む部分に、何も否定しないで光のパテを当て続けるのがポイントだった。
そう。やっぱり、かける言葉なんて思いつかないときが多い。
ただ、無言でそのパテを当てる。
イメージだけでもそのパテが傷を埋めて修復し、バスタブにやがてじわじわと光のお湯がたまるイメージをする。

そして、その光のお湯が、バスタブを癒やしていく。
そして眠りにつく。

「お湯はただ温かい」

このイメージワークは、あくまで私個人がひそやかにやっていた、名もなき健康法のようなものだ。こうした自前のイメージワークは、実は他にも無数にある。ひとつひとつ、何か傷ついてるなと感じたときに、その場で即興で思いついてやってみたものだ。

あるときから、苦しい・悲しいのはもういいやと、もう十分やった、つまり飽きた、これからは幸せだったり喜びだったりを選んでいくと決めてから、よく笑うようになったし、気づけば痛みにフォーカスすることも減っていった。この世界の中で、傷ついているくらいが正しいのだと思っていたとき、どこかで「大丈夫」と言うことを恐れていたこともある。大丈夫になるということは、大丈夫じゃない自分を見捨てるようで、嫌だった。

でも、今は思う。大丈夫と言っていいのだと。人生は変わらずそれでも続いていくし、結構忙しい。

自分自身をバスタブのような「器」に見立てたときに、まずはその「器」を癒やしてみる。「器」が癒えていれば、自分が普段無意識に受け取っている、優しさや愛や喜びが勝手に溜まっていくのだという感覚をずっともっている。ただの優しさや、ただの愛。お湯はただ温かいように、何も見返りを求めてこずに、ただ与えてくれるものはこの世に無数にある。イメージの中だけでも、人それぞれそういうものを収集して、それがその人にとっての光のパテになればいいなと思う。

PROFILE

安達茉莉子
安達茉莉子

大分県日田市出身。大自然に囲まれながら、本と空想の世界にトリップするインドアな幼少時代を過ごす。政府機関での勤務、篠山の限界集落での生活、イギリスの大学院留学など様々な組織や場所での経験をする中で、人間が人間であるための「言葉」を拠り所として制作を続けてきた。

2015年からは、東京都内で"MARIOBOOKS"として活動開始。セルフパブリッシングで詩集・エッセイ集、ZINEを発行している。言葉とイラストで「物語」を表現する。

note『毛布』− 言葉と絵のエッセイを連載中。

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新刊イラスト詩集『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』(発行:ビーナイス)の刊行準備中です。

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