静けさが戻った深夜のロビーで、杉本は切々と話し始めた。
「遅いからもう寝て欲しいのは山々なんだけど、さすがにお説教をさせて。みんなで示し合わせて行ったの?」
はい、と返事がばらばらに散らばる。宮田はタイミングを逃してしまって、何も言うことが出来なかった。
「大丈夫だ、って思ったから、夜中に山なんて行ったのよね? 自分たちなら大丈夫だって、本当に思ったの?」
「その時は……」
由梨が率先して答えると、全然大丈夫じゃないよ、と杉本が厳しく言った。全然大丈夫じゃありません、と強い口調で繰り返す。
「もしも、途中で誰かに会ったらどうしてた? 怖い人に車に乗せられそうになったら? この中に誰か、それに立ち向かえる人はいるの? 人数が多いから平気だとでも思った? それとも、もう中学生で、子どもじゃないんだから、なんでも出来るとでも思ったのかな」
その浅はかさが、あなたがたが子どもである証拠です、と杉本は言った。
「あなたがたはもしかしたら、自分はもう子どもじゃないと思っているのかもしれないけど、あなたがたはまだまだ子ども。その弱さや幼さにつけ込んでくる悪い大人だって、世の中にはたくさんいるのよ」
宮田は杉本の目を見ることが出来ず、土の色が残る上履きの先をずっと見つめていた。
「奥沢さんは、おうちが真川なんだって?」
すぐ隣に視線をずらすと、来客用のスリッパを履いている足が見えた。
「あそこから自転車でなんて、遠かったでしょ。長い夜道をずっとひとりで、あなたが一番危険だった。どうして他の人は止めてあげなかったの?」
「でも叶が来たいって言ったんです」
ね、と真帆が奥沢に目配せをする。そういう問題じゃないでしょ、と杉本がそれを𠮟った。
スリッパを履いた奥沢叶は、何も言わずにじっとしていた。
さっき目にした流れ星の光が、ヒュッ、と静かに脳裏を過ぎる。
「あ、来たのかな」
おもてに車の気配がすると、杉本が玄関へ出て行った。真帆たちもすぐに引き戸に駆け寄る。
誰もが奥沢の母親に興味があるようで、宮田もつい、外の様子に耳をそばだてていた。
しかし当の奥沢は、まだロビーに残っていた。ふたりきりになったのがなんとなく気まずく、宮田は間を持たせるために適当な話題を振った。
「自転車って、どうするの?」
その刹那、害虫を握り潰す時のような表情にその美貌は歪んだ。
「え?」
顔を上げた奥沢は、もういつもの奥沢に戻っていた。
「あ、自転車。どうするのかなって……」
「うちの車、たぶん載せられないですって言ったら後日でいいって」
「そう」
徹底した殺意がその目に浮かび上がった瞬間を、宮田は確かに目撃した。それは星が燃え尽きるのよりも、一瞬のことだった。
幽霊でも見たかのように、心臓が跳ねている。どくどくと動悸が止まらない。
奥沢ほど、築山学園の制服が似合う生徒はいない。初めて壇上で姿を見た時から、宮田はそう思っていた。佇まいに知性があり、話す声は凜として、大人びた品をも携えている。
鮮烈だった入学式を、何故か宮田は思い出していた。
「かーなちゃん!」
溶けた飴のような甘ったるい声が聞こえて、咄嗟に宮田は玄関を振り返った。
「どーしたの、ママビックリしちゃった。似合わないことしてえ。戸越さんも心配してるよ?」
挨拶もなく寮の中に入ってきた派手な風貌の女を見て、思わず宮田は息を吞んだ。素っ頓狂な声色が、これ以上なく場違いだった。自分だけでなく、真帆たちも驚いているのが雰囲気でわかる。強烈な違和感に、ロビーの空気が凍りついた。
また奥沢の顔が醜く歪むのではないかと、宮田は怖かった。
「心配かけてごめんなさい!」
けれども、奥沢はいつも通りに完璧な少女を演じてみせた。まるでこの空間に、何の問題もないかのように。
それを見て宮田ははっとした。
「も~本当にビックリした。やめてよね、そんな子じゃなかったじゃん。どの子に誘われて行ったの?」
「私が無理言って、みんなに交ぜてもらっただけだから……」
砂嵐のような不快感が突然、鮮やかに結像した。
私と、奥沢は似ている。
謹慎を受けた三日間のうちに、第一回実力テストは返却された。
総合首位は宮田佳乃、次席は奥沢叶だった。
(第一章 終了)
続きは、単行本『金木犀とメテオラ』でお楽しみください。
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