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私達の生活証明 The Proof of Our Lives

燈里とカレン。台湾で同居する2人が相手の日記を書く

2020年5・6月 特集:ここで生きる
テキスト:燈里・カレン 写真:燈里 編集:野村由芽
Text: Akari, Cullen Photo: Akari Edit: Yume Nomura
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4月7日(火)

カレンが書いた燈里の日記
Lately I've been thinking about how I can collaborate with Banana Fish for She is. "Here she is." That's how Michael greets me first thing in the morning. She is here. Like he's been waiting for me all morning. How do I... explain Banana Fish? It's so difficult because it speaks for itself I think. It wouldn't suffice even to explain it as a banana × fish hybrid. The Banana Fish is less a fish and less a banana but some weird spirit that hops through time and space inhabiting various bodies. It's an energy that's been here since the birth of the universe - it has known the shaping of all celestial bodies, the changing of eras the genesis of terrestrial life, the evolution of creatures, the movement of peoples. It's like the characters of 火の鳥 who we see appear reincarnated across vast spans of time, but retaining a few characteristic physical features. The Banana Fish has lived so many lives, it has known everything. That's partially what might make the キモ part of its キモ可愛さ. That behind those goofy eyes and those wiggly limbs there is the truth of the entire universe. I remember a few years ago I would make temporary tattoos of phrases my friends wold say. Cullen asked me to make one that said "lightness" because he believed it to be an important attribute to have. I wondered if he meant 明るさ or 軽さ, luminosity or levity and he said he hadn't considered that distinction, so both! I think the Banana Fish and Michael are the lightness I need in my life - luminous in that they brighten my days - and levitous in that they alleviate the force of what feels like a constantly intensifying gravity as life goes by. Coincidentally, the dictionary defines "levity" as "excessive frivolousness." This sense, too, I think applies. Let's get FRIV!

燈里が書いたカレンの日記
午後は同居人達は皆仕事に出ていて、ガランとした家で一人で修論用の本を黙々と読んで過ごすことが多い。2020年に入ってからずっと國分功一郎の『中動態の世界 意志と責任の考古学』を読んでいる。昼間とは思えない静かさだ。台湾語の市内放送が聞こえた。庭の月桂樹の大木が風に揺れてざわめき、時々固い実が落ちて屋根に当たる音が反響して聞こえる。台湾の町ではどこでも月桂樹を見かける。私達の月桂樹は台湾の暑い日差しから家を守り、日陰を作って庭に休める場所を提供してくれる。飼い鳥のビスコは行方不明になっていたが、ピィーッ! と高い鳴き声が静寂を破ったので、声のした方を探りついに見つけた。リビングの観葉植物の鉢の裏にいた。一応叱ったが、学習しない鳥なのでまた近いうちに飛んで逃げるだろう。私の一番好きな日本語は「炭火焼」だ、音が面白いから。ビスコに「炭火焼で焼き鳥にするぞ、このyucky tori」と脅すと、天井から笑い声が響いた。ヤモリの鳴き声だ。マイケルによると、マレーシアの言い伝えではヤモリが鳴く時は神が同意しているという意味らしい。リビングと燈里の部屋それぞれのエアコンの中にヤモリが住み着いているが、虫を食べてくれるので放っておいている。ヤモリは日本語の漢字で「守宮」や「家守」、中国語で「壁虎」と書く。私達に神の意向を伝えたり、家を守ったり、となんて縁起の良い小さな生物だろう。
鳥が飛べるのは体が軽いからだ。骨が細く、胴体はほとんど空洞になっていて、食べてもすぐに消化されて排出してしまう。軽さ、そして明るさを意味するlightnessは台湾に移住して以来私の人生のテーマだ。まだ燈里に会って間もない頃、lightnessについて話すとAldous Huxleyの"Island"の引用を送ってきた。久しぶりに該当箇所を読み直したいと思い、本棚から本を引き出すと表紙がビスコだった。実物大のコキンチョウの絵で、あまりにビスコにそっくりだったので思わず並べて比べた。表紙の絵の方はコキンチョウの描写であると同時に、近くで見ると体の各パーツが自然になっている。羽は葉、脚は枝、頭は花弁、足は蕾で描かれている。鳥の体に木の構成要素全てが詰まっている。アレックスが庭からリビングの窓に顔を出した。拳を突き出すので見るとテントウムシがいた。黒字に黄色い斑点のテントウムシは初めて見た。また月桂樹の実が落ちてアレックスの足元に転がった。爪ほどの大きさの種。2階建の家を覆うほどの巨木になるためのもの全てがその小さい粒に詰まっている。コキンチョウの体にもヤモリの体にもテントウムシの体にも私達の体の中にも、それと同じ全てのものと可能性が詰まっている。

PROFILE

燈里
燈里

1992年茨城県生まれ。台北在住。千葉とフィンランドで教育学専攻・現代芸術理論副専攻を経て、現在は台北教育大学国際修士現代芸術課程に在籍。2012年から忘れる記憶の記録のためにスケジュール帳を作る。

カレン・ピットニー
カレン・ピットニー

人生の使命は踊ること。

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