She isで先行公開がスタートした、女優・モデルの南沙良とイラストレーター・漫画家のごめんがコラボレーションした「頭の中の女の子」がテーマのショートショート全4話。公開を祝し、過去の『yom yom』で掲載していた南沙良のエッセイ「届かない手紙を書きたい」を順次公開します。
嗚呼、最悪な目覚めだ。
外部からの光を完全にシャットアウトしているこの暗い部屋のなかで、圧倒的存在感を放ちピカピカとうるさく点滅している目覚まし時計を睨む。
9時にアラームが鳴るよう設定していたはずの針は、とっくにお昼を過ぎているばかりか、もうすぐおやつの時間になろうとしていた。
大きなため息が口から溢れる。これは大きな失態だ。
本当なら、1度目のアラームで気持ちよく目覚めて、今頃優雅にお気に入りの紅茶をすすりながら映画でも観ていたはず。
寝入る前に思い描いていた理想の目覚めと今の状況があまりにも遠くて頭を抱えた。
仕方がない。今から巻き返せる分だけ頑張ることにしよう。
たとえ太陽がもう西に傾きつつあっても、私の1日はまだ始まったばかりなんだから。
そう自分に言い聞かせて、重力装置が作動しているとしか思えない程重たい布団を思い切り蹴飛ばした。
よし。
手始めにカーテンを開けて部屋のなかに光を入れる。
すっかり暗闇に慣れてしまった目には刺激が強いけれど、そのおかげで目が覚めた。
冷たい水でバシャバシャと顔を洗ってから、先日母から旅行のお土産で貰ったお気に入りの紅茶を入れる。
それから、トースターで焼いた食パンに溢れんばかりのバターとジャムを乗せて、私流、最高に贅沢な寝起きパンの出来上がり。
誰にも邪魔されず、大好きなものに囲まれた食事って、一種のパーティーかもね。
いけない、最近はなんでもパーティーと呼んでしまう。
金曜日の夜パーティーに、パンケーキパーティー。昨日の夜は、キャンドルパーティーをした。こんな調子で、最近は毎日パーティー三(ざん)昧(まい)。
そう思うほうが楽しいでしょ?
食パンパーティーを早々に切り上げ、早く次に取りかかりたい私は、ここ最近の日課となっている窓拭きパーティーをする。
時には外の世界と私を隔て、時には現実を突きつけてくるうちの窓が私は嫌いじゃない。
こうして窓を拭きながら外を眺めていると、水筒とカメラを持って散歩をしたい衝動にかられる。
あの広い歩道や、パン屋の前を通ると香る香ばしい匂いや、遠くを走る車の音、公園から聞こえる子供たちの声、ベンチに残るおままごとの形跡。
そんな愛しい風景たちを眺める度、感じる度に私の心は高揚する。
そういえば、しばらく散歩に行っていない。
「STAY HOME」という言葉が世界中で呼びかけられるようになってから、早1ヶ月が経とうとしている。
インドアを極めている私にとって、社会から離れてひたすら自宅に籠るというのは、案外仕事のない休日と変わりはない。
だけれどやはり散歩のできる日常が恋しい。
とびきりのおしゃれをして出かけたり、誰かとどこかに出かけたり、当たり前だと思っていたものが日常から消えてしまった今、なんだか自分の思考の効率が悪くなる一方で、自己嫌悪に陥る毎日を送っている。
そんな堕落しきった私だが、この「非日常」な日々に、なにかが変わる予感やなにかの意味を見つけられたなら、どこかへ行かずとも誰かに会わずとも、アクセントがつき、心に光が満ちていく気持ちになれるのかもしれない。
そう思い、今までより日常の隣にあったものに目を凝らすようになった。
台所から見える葉っぱだらけになったソメイヨシノがとても美しいこと。暗くした部屋にキャンドルの灯りを灯しただけで異世界に飛ばされた気持ちになれること。そして時折聞こえてくる野良猫のダミ声のかわいいこと。
色んな「愛しさ」の再確認ができたけれど、中でも1番「散歩」の大切さにハッとさせられた。
「散歩」は私の生活の一部であって、欠かせない「居場所」を探すことでもあるのだ。散歩をしている間は呼吸がしやすくなり、居心地の良い場所を見つけることで私の幸せが形造られていく。
ゆっくり、私からの景色全てを目の奥に閉じ込めるみたいに眺めながら歩くと、リズムと勘が戻ってくるような、自分を取り戻しつつあるような気持ちになって、心を休めることができる気がする。
心を休めることができると、美しいものを美しいと思えるし、世界が少しキラキラして見える。
はみ出んばかりに生い茂っている小さな花
水(みな)面(も)に揺れる光
落書きされたポスター
毎年のことではあるけれど、毎日忙(せわ)しなく暮らしていると、去年はどんな気持ちでこの風景を見たのか、覚えていない。
そして、知らず知らずのうちに「こうあるべき」という呪いにかけられている。
でも、心を休めることができると、いつもの日常が美しいものだと気付くことができる。
たとえば、なにかが変わる予感をみつけられたなら。どこかへ行かずとも、誰かに会わずとも、自分らしく生きられるのかもしれない。
だけれど現実はそんなに簡単でなく、だからこそ私の散歩がいかに大切か、わかる気がする。外の世界と繋がると、いつでも自分自身を自由に解放できる。
散歩って素晴らしい。
そんなことを考えていたら、散歩に出かけたくて堪らなくなってきてしまった。
窓を拭いていたつもりがいつの間にか止まってしまっていた手に力を入れて窓を開ける。
部屋中に風がぶわぁっと広がってゆく。
心地の良い、初夏の風。
この幻のような今年の春を、来年の私は覚えているだろうか。
胸に刻んでおきたいわけではないけれど、この穏やかに静かに流れる日々のなかで見つけた愛しいものたちを、私はこれから先もずっと大事にしまっておきたい。
忘れてしまわないように。もし忘れてしまってもまた思い出せるように、今日も1日の終わりにしっかり文字に起こさなくては。
未来のことはなにもわからないけれど、やすみながら、心穏やかにやっていこうとおもう。
毎日のことを、退屈と呼んでしまうのは悲しいから。
Photo
(Photo by Sara Minami)
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薄暗い空が、はっきりとした朝になる瞬間。この瞬間のなんとも言えない余韻が好きで、気持ちの良い天気の日は時々早起きして散歩に出かける。
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花の名前は分からないけれど、まんまるなシルエットがかわいいと思ってシャッターを押した。散歩中は、鮮やかな花はないかと無意識に探してしまう。先日は、チューリップの花びらががっぱりと開いていてかわいかった。