春、窓の外を桜の花びらがくるくると舞い、ちらちらと落ちていく風景を、私は部屋のなかから眺めていた。まるでスノードームの中に閉じ込められてしまったみたいだった。
2020年、私は季節を無くしてしまった。春と初夏の記憶は、消しゴムで消してかすかに残った鉛筆の跡のように、靄をかけたようにぼやけている。
4月なのに雪が降り、7月なのに長袖を着て、気持ち悪くなるくらいダルい暑さの夏が過ぎ去って、秋と冬が雪崩れ込むようにやって来た。
あの人に会うために着たかった服も、あの場所に着て行きたかった服も、着ていく機会がない。最近、家からあまり出ない私は、ケチなので自分の為だけに新しい服を出してきて、洗濯物やクリーニングに出す服を増やしたくない。私はほんの数着だけ今の気分に合ったお気に入りをレンタル倉庫から取り出して、自分の部屋のクローゼットにしまった。ただでさえ小さなクローゼットなのにスカスカだ。ああ、こんなちょっとの服でも日々を充分に楽しく過ごして、心を満たせるのか。なんだか少しの寂しさとうれしさとで、頭がぼーっとした。
数少ない選ばれた服たちの中に3着も、FOR flowers of romance(フォー・フラワーズ・オブ・ロマンス)の服があった。ここの服の多くは、とても薄い生地で作られている。言ってみればスケスケ。夏は仕事柄、日焼けを気にする私には持ってこいだ。春は中に長袖を着て、夏は中にキャミソールを着て、秋は保温機能のあるインナーを着て、冬は薄手のセーターを着れば、一年中たのしむことができる。私が持っているFORの服は黒いものが多いので、日常では勿論、パーティーなどでも着ることができる。
自粛生活が明けてすぐに開催されたFORの展示会で、今後は季節にとらわれない服を発表していくと明言していた。シーズンレス。それはFORにとってはいつも通りの変わらない当たり前だと私は感じた。季節を楽しみにして短いひとときを謳歌する服も素敵だけれど、そうそう出会えるものじゃない気に入った服を一年中着ることができるというのも、無理のない自然な喜びだと私は思う。
FORをやっている岡野隆司さんは、いつも赤い帽子を被って、たいてい短パンを履いている愉快な人だ。リボンやレースの付いたワンピースやうっとりするようなウエディングドレスを、この人がデザインして作っているなんて、私は今だに信じられない。
岡野さんは小学6年生のとき剣道で日本一になり、大阪体育大学を卒業。小さな頃から兄弟や両親の影響で音楽が大好きだった彼は、大学時代ライブハウスへ通う日々の中、ミュージシャンやアパレル関係の友人が増え、ファッションデザイナーになりたいなと思い上京する。
右も左も分からなかった彼は「セツモードセミナー(多くのデザイナーやイラストレーター、漫画家を輩出した美術学校)へ行けばデザイナーになれるだろう」と思い、当時入学が先着順だったため前日から並ぶも、待つ人のあまりの多さに急遽抽選制へと変更になり、あっけなく落選。その後、文化服装学院の夜間部への入学を試みるが学費が一括払いだったため断念し、好きなコースを週一回から選択できるバンタンへ通い始める。アルバイトをしながら学校へ通う中で、ソーイングの先生から「デザイナーになりたいならパターンの勉強をすれば?」と勧められ、冠婚葬祭やウエディング、よそ行きの服を主に作っている、小さなメーカーに勤め始める(俗に言うマンションメーカー)。もともとパタンナーだったメーカーの社長が学費を半分出してくれ、アミコファッションズ(パターンの学校)へも通い始める。
その後は、カール・ラガーフェルドのライセンスを取り扱う企業など、様々な会社で腕を磨き、フリーのパタンナーになる。フリーになった頃は、東京の様々なブランドのパターンを手がけたり、eriさん(現DEPTオーナー)と共に〈CHICO〉をやりつつ、FOR flowers of romanceを2003年にスタートさせた。
てろんとしていたり柔らかい素材を着たときの女性の動きが好きだという岡野さんの作る服は、ほぼ全てが白か黒のワンピースだ。レースやチュールを使った儚くキュートなワンピースたち。
なかなか他では見ることのできないような面白いウエディングドレスも作るし、オーダーサイズでひとつひとつ作るブラックドレスのシリーズも2015年から始まった。
半年に一度開催される展示会では、コサージュブランド「la fleur(ラ・フルール)」のデザイナーで奥様の岡野奈尾美さんと共に、毎回ひとつの物語を作り、それをテーマに服を発表する。テーマは「姉妹」「旅」「日記」など、日々のすぐ隣にあるものばかりだ。
誰かと生きていくこと、誰かと生きていること、それにはさよならがあること、日々を送ること……。FORの服には、当たり前でいて大切な、シンプルな喜びがつまっている。