「古着には、人の癖が残っているんです」
teasiというブランドを、ひとりでやっている男の子、タケナカタケヒロくん。2020年からタケナカくんが販売している服は、古着のニットを使って作っている。もう誰にも着られなくなったニットを、地方のリサイクルショップで数百円で購入し、そのうちの数着を繋ぎ合わせて新たな一着が作られる。
毎日1着Instagramにアップされる服は、机の上に平置きにして撮影される。ハンガーにかけたりトルソーに着せたりしていないその服は、なんだかうねりを持っていて、ヒトの抜け殻が存在したとしたらこんな感じなのだろうかとも思うし、それでいてヒトという生き物ではないもっと遠くの何か別の生き物の死体を観察しているような恐ろしさにも似た興奮が湧き起こる。
「アトピー体質で、縫い目が服の内側にあると痛いから、外側にしてみたんです」
ニットとニットの繋ぎ目が、ニョロニョロとした曲線を描き、服に感情を見せているようにもみえる。
「このニットのリメイクのシリーズは、僕にとって日記のようなもの。色とか形もそうなんですけど、この縫い目が多ければ多いほど、すごくストレスが溜まっていた日な気がするんです」
出会った人、見た景色、読んだ本、見たアニメ、世間に流れる空気やニュース。それらによってうまれるタケナカくんの喜びや苛立ち、そういったものが服に落とし込まれる。
昨年の10月の終わりに一週間ほど開催されたポップアップショップ(新宿・伊勢丹)では、8月11日から9月25日の間に制作された57着が販売された。リメイクのシリーズはすべてナンバリングがしてあり、今回販売されたのはno44~no.100だ。
制作期間中、最初の数日は久しぶりに服を作るということもありリハビリのような感覚で、短めの丈の服を、似たようなデザインで素材を変えながら作っていた。しばらくすると服の丈が長くなりワンピースのようなものが増える。もう少し時間が進むと、珍しい形や素材のニットを使った服が増え、古着のニットがもともと持っている服の個性と対峙しながら制作が進んでいるようにみえる。ちなみに私が購入したno.88のグレーのワンピース(9月12日に制作)は、その後no.89、no90と続くグレーのシリーズのうちのひとつ。no.88はタケナカくんに嫌なことがあった日に作られ、その感情をひきずるような形でその後の二着が制作された。
かつてどこかの誰かが着ていたニットには、その人の癖が残っているという。肩の位置、袖の伸びかた、穴のあき方、布の擦れ方、素材の状態。何をしている人なのか、服に対してどういう扱いをしていた人なのか。それを観察しながら進めていく作業は、空手の組手に似た感じがあるかもしれないとタケナカくんは言っていた。
米軍基地がある東京・福生で1992年に彼は生まれ、その後、青梅で育つ。
「いちばん最初に服を作ったのは小学校低学年の頃。クマのぬいぐるみに着せる服を作りました。友達もいないし、遊ぶ相手もいなかったから」
幼少期から身体が弱く、喋ることも苦手だった彼は、たくさん本を読み、頭の中に言葉を蓄えるようになっていく。中学校へ上がっても学校へはほとんど行かず、三島由紀夫、寺山修司、坂口安吾などの文学を読み、家でパンクロックを聴き、ひとりでギターを鳴らす日々だった。
「パンクが好きで細い黒いパンツが欲しかったんだけど、当時はまだ男子がスキニーパンツを履く文化がなくて、自分で作ってみたのがミシンを最初に踏んだ記憶かも」
腰のサイズが自分に合うレディースのパンツをリサイクルショップで探し、それを切って縫って細くした。
高校時代、たまたま読んでいた雑誌の記事を見ながら母親が「山本耀司っていい女にしか服、作らないんだって」とぽつりと言った言葉が心に残り、彼が通った文化服装学院に進学する。
まわりの同級生がインターンを始めるなか、Ka na taのデザイナー加藤哲朗氏のブログでインターンを募集していたので応募してみた。「氷が溶ける様を表現する』という課題を出され、3着ほど服を作って持っていった。すると「ここ、こうしたら良くなるよ」とアドバイスされ、直してまた見せにいった。その後Ka na taに通うようになり、Ka na taの服を作るための原型を100着分ほどデザインした。
学校を卒業後、ある日たまたま入った古着屋の店主と仲良くなり作った服を見せると「君、もっと服やった方がいいよ」と言われ、そこで初めての展示会を開催することになる。
当時出会ったひとりの女性の身体をもっと美しく見せたいと思い、女性の体型を研究し服を作った。最初に作ったのはルームワンピースだった。
「美しいものが好きなんです。鳥を観察するのも好きで、特にアオサギ。女性の身体を観察するのも、鳥を観察するのも、同じ感覚かもしれない」
teasiが今でもずっと作り続けている5holeワンピース、ロングワンピース、ルームワンピースなどのシリーズはこのときの続きだ。
しかし2017年からteasiを1年ほど休んだ。
「teasiの今までの服は女性の身体を観察して、着てもらって、また直して、それを繰り返してゆっくり作ることができたけれど、その分どんどん自分と服との距離が開いていってしまって、うまく服と対話できなくなってしまったので休みました」
休んでいる間、試しに古着をリメイクしてみたら、デザインしながら同時に制作していくスピード感がしっくりきて、しばらくこのスタイルで続けてみたいと思うようになった。自分自身を服にできたような気がした。
「この服の作り方だと、言いたいことがすぐに言える感じがするんです。すぐに日々のことをアウトプットできる。でも、この作り方は結構大変です。毎日作るのって体力的にもしんどい」
「僕、好きか、好きじゃないかで物事を選べないんですよ。自分にもできるか、できないか、それだけなんです。服は自分にもどうにか作れたから続けてこれた。コロナ禍でファッションブランドがこぞってマスクを作り出したけど、僕はマスクのこと全然わからないし、マスクのプロにお任せしたほうがいいんじゃないかなって思ったから、鳥のぬいぐるみを作りました。ステイホームが寂しくないように、僕ができることはそれしかなかった」
いつかタケナカくんと会ってみたいと私はずっと思っていた。彼と仲のいい私の友人は「タケナカくんは命削って服を作ってる感じ」と言っていた。その意味が少し分かったような気がした冬の始まりの高円寺、喫茶店でのこと。