絵を観ている、そのときの胸の高鳴りに似ている。
yushokobayashiの服を見ていると、私はいつもそう感じる。
私は絵の前に立つと、存在しないけれど確かにここにある匂いや温度を感じるために深呼吸する。そして、重なり合う色と色の隙間を見つけては、ひゅっと身体をすべり込ませてみたい気持ちになる。刷毛の筆跡に描いた人の身体の動きを想像し、踊りだしたくなる。絵を照らす日差しの角度や、照明の光の柔らかさによって移り変わる印象を、全て心に留めておきたくてやきもきする。描いた人がどんな風景をみて、どんなことを考えて絵を描いたのかよりも先に、私は絵が今、私の目の前に存在することのうれしさと切なさに身体と心を浸していたいと思ってしまう。
yushokobayashiの服はすべてが一点物で、デザイナーの小林裕翔くんの手でつくられている。集めてきた生地、編んだニット、染めた布。それらを繋ぎ合わせたり、重ね合わせたり、破いてみたり、切ってみたり、その上に絵具やクレヨンで描いてみたり、刺繍してみたり……そういうやり取りの繰り返しが一着の服になっていく。
レースの重なりの下にうっすら見える花柄の布。破かれたニットから覗く素肌。切りっぱなしにされたままの裾に揺れる糸。粗く編まれた毛糸の影が、夕焼け色に染められたグラデーションの布に影を落とす。
ワッペンのようにもみえる抽象的なモチーフが、リボンやボタンと混じり合いパッチワークされている様子は、幼い頃に夢中になったシール遊びのようだ。不器用に刺繍された花や、不安定な筆跡によって描かれた格子柄は、ペンを持った手を動かすことで紙の上に線が描かれ、それがやがてひとつの像になっていく純粋な楽しさを思い出す。
幼い頃、私は「美しいな」「きれいだな」「かわいいな」と思うことに出会うと、いてもたってもいられなくなって、上手にできなくとも自分で絵に描いてみたり、布を縫いあわせてつくってみたり、文章にしてみたりしていた。今より技術もないし方法も知らなかったのに、ときめきをすぐに形にしてみようとする勇気を持っていた。それを忘れてしまったわけではないはずなのに、何か理由をつけてやらなくても良くなってしまった部分が私の中にはある。裕翔くんは、私がおざなりにしてしまっているかもしれないときめきの中で、必死に泳ぎ続けている人だ。
京都で生まれた裕翔くんは世界史とアートが好きで大学で美学を学んだ。卒業後はイギリスのセントラル・セント・マーチンズでファッションを学びながらドイツにあるBLESS(ブレス)でインターンを経験した。在学中は、住んでいた家のガレージで友人のバンドを招いてファッションショーを開催したりしていた。
日本で初めて発表した2019-2020秋冬コレクションは、セント・マーチンズの卒業制作だ。日本へ落とされた原爆やナチス・ドイツの歴史を調べていくうちに、いつか取り組まなくてはいけないと考えていた“戦争”をテーマにしたコレクションを発表した。写真家・石内都さんが被爆者の遺品を撮影したシリーズ「ひろしま」や千人針などからインスピレーションを受けた。古着のシャツ30着を割いて染めて色を抜いてまた染めてを繰り返し、繋ぎ合わせ、また壊すことを繰り返した。布を溶かし加工し、穴が空いたものを再度縫い合わせることも繰り返した。聖書に出てくる“ヤコブの梯子”をモチーフにしたデザインも取り入れた。
2020年春夏コレクションでは南仏で過ごした夏の景色から着想した「new blue」をテーマにした。アンリ・マティスやピエール・ボナール、ポール・セザンヌといったフランスの画家たちの色使いにも影響を受けた。ショーでは裕翔くんが描いた絵画を、夏の浜辺を思わせるような明るく爽やかな空間に展示し、塩塚モエカちゃん(羊文学)が会場で弾き語りをした。
2020-21年秋冬コレクションでは、「between」をテーマに制作した。コロナ渦で家に閉じこもる日々の中、夜と朝の間のことを考えた。画家パウル・クレーが愛する我が息子のために作った指人形の作品群を見て、アートとアートではないものの間へ想いを巡らせた。ショーは教会で開催し、ベッドや花瓶、レコードプレイヤーを配置し、その周りをモデルが歩いた。
2021年春夏コレクションでは、映画『レディ・バード』や『はちどり』、アーティストのルイーズ・ブルジョワに影響を受け、反抗期を表現し「lost」をテーマに掲げた。タイダイ染めのワンピースやカラフルなビーズのアクセサリーはヒッピーカルチャーを匂わせるし、重ねづけされたチェーンやチェック柄はパンクを連想させる。花をモチーフにした刺繍やプリントは小さな頃に着ていた肌着やパジャマを思い出す。
まるでその時々の裕翔くんの日記を見ているかのような服たち。「ただ、かわいいものを作っていたい」と彼は言う。裕翔くんの目に映るかわいいものは、もしかしたら私が知っているかわいいとは違うのかもしれない。だから私はこれからも少しでも長く、裕翔くんを通したかわいいを見つめていきたい。
次回は、裕翔くんと一緒に服を作った日のことを書きます。お楽しみに。